手作り「おうちごはん」最終章WinkingLaughLaugh

期待に応えての第三弾。トリロジー最終章。

我が家の「おうちごはん」で欠かせなくなったものを。うーん、やはり
パンかな。それに、今後もレギュラー化しそうな気配のマヨネーズ

基本的に
全てのパンを手作りするようになったのは昨年から。まだまだ新米(汗)。それでもパン作りはその種類も増えた。ピザ生地も常に冷凍庫ストックを。巧くはなかったけど手打ち蕎麦もつい先日挑戦。


作り続ける中、イーストと天然酵母の使い分けもするようになった。天然酵母はホシノのものを使っているが、時々自家製酵母も作る。発酵力のあるレーズンが基本ながら、発酵させられるものなら材料はなんでもいいみたいだ。リンゴやバナナ、ヨーグルトや梨など、その季節に出回る旬のもので。私はタイム酵母を試してみた。ところが、とほほのほ、使用のタイミングが合わず、せっかく酵母液まで作って成功させたのに、それを冷蔵庫に長く放置し過ぎたためか、力がなくなり実際は失敗に終わった(悲)。でも、また試してみようと思う。


写真は有機栽培のレーズン(オイルコート無しのもの)で作った天然酵母。日に日に膨らんでくる酵母。すごいなぁ、生きているんだなぁと感動。


上から覗くとこんな感じ。ぷくっと膨らむ様子はなんだか活火山のような。またまた生命力を感じ、感動。


酵母から少々いただいて、さっそくパンを作ることに。むぎゅっと鷲掴みしてちぎった後、中はこーんな感じ。空気の層を含みながら酵母が網の目に張り巡らされている。こうやって増殖しつつ膨らんでいたのねぇ。何か昆虫の巣のような雰囲気にも。自然の賜物。またまた生命力に感じ入り、三たび感動のるつぼ。酵母様ありがとう。


自家製酵母で焼いたバゲット。美味しい!!のひとこと。クラストはパリっ、クラムはもちっ。自家製酵母は難度高く大変、という話を聞くけど、そんなことはない。多少時間がかかるだけ。夏は室温も高いので、必然的に発酵も早い。バゲットのようなリーンなパンは本来的には涼しい時期の方が美味しくできる。でも、そうしたことにこだわらなくても、と思う。手作りに興味がありながらも面倒くさがりの人には、時短が可能な夏はお勧めの時期。

次に登場するのは
自家製マヨネーズ。時々思い出したように作っていた程度のマヨちゃん。でも手作りものがあまりにも美味しいので、これはもっと頻繁に作ろうと。自分で作れば、オイルも卵も全て選べる。よく使うオイルは「べに花」。値はちょっと張るが爽やかな味わいに。ひまわりオイルも美味しい。塩はゲランドの天然塩。

たぶんどの家庭にもハンドミキサー(ハンドブレンダー)はあるだろうし、そうなるとレシピ紹介など今さら、か。しかし、付属のカップを使わず、保存用容器の中で作るという点は新しい?かもと。作った後で別の容器に移す場合、マヨネーズの質感柄、移しきれない分が生じ、無駄がでる。またぐにゃぐにゃしているせいか、意外に作業は面倒くさい。それに作ったカップも洗わなくてはならない。でも保存容器で作ってしまえばそれらが無く楽ちん。


保存容器はミキサーがギリギリ入る広さでなく、数センチ大きい直径のものを。オイル200mlを入れ、そこに全卵1個(黄身を割らないように)、白ワインビネガー小さじ1(酸っぱいのが好きな人は少し足しても良し)、塩小さじ1、ディジョンマスタード小さじ1(私は粒マスではなく滑らかな方を使用。どちらでも)、の順に投入。


黄身を優しくカバーするような感じでミキサーをそーっと下まで入れる。


スイッチオン。乳化するまでしばらくそのまま下の位置で動かすこと数秒。上部にオイルの層が見えるが、下側はきちんと乳化しているのがわかる。


乳化が確認できたら、ミキサーを上下させて全体を乳化。こちらも数秒。


容器からミキサーをそっと抜き出し、ミキサーの内側に付着したマヨをへらでしっかりととる。蓋をして冷蔵庫へ。


ミキサーに付着した油ものは洗いづらい。食洗機にそのまま入れられるタイプのミキサーなら問題はなし。でも、ご安心を。ボールに水と洗剤をちょっと入れ、その中でミキサーを攪拌。そうすれば油分もすっきり落ちる。そのあと水洗い。

余談ながら市販のマヨネーズ。いろんな材料が入っているんだなぁと驚き。家庭で作ればシンプルなのに。アミノ酸というと聞こえが良いが、化学調味料のこと。乳化の役割を持つ黄身はコレステロールやカロリーの元だからか、カロリーを抑えたタイプのマヨでは乳化剤という添加物が。黄身の代わりに使わざるを得ないのだろうか。

「食べれば食べるほどコレステロールが下がる」という魔法のようなマヨもある。コレステロールを気にする人たちが大喜びすること間違いなしだろう。でも、その喜ばしい科学的作用のためには、内臓のどこかに負担をかけているのではないかと疑う私。何年か前に起きた花王のエコナオイル事件を思い出す。コレステロールゼロで空前の大ヒットとなり、「特定保健用食品」という国のお墨付きをもらっていたエコナオイルだったが、発癌性の怖れ有りとわかり、販売を自粛した。この魔法のマヨ君もこのお墨付きをもらっている。私は科学者ではないが、「食べることはカロリーを摂取することであるべき」と考える。だからこそ、「食べるほど減る」ということに空恐ろしさを感じるのだが。加えて、この魔法マヨ君のサイトのFAQに恐怖の止めが。「食べるのを止めるとコレステロール値は少しずつ元に戻る」と。魔法のマヨ君を買い続けないといけなくなる。中毒ではないか?これからもずっとごひいきに、と、ニヤリと笑うメーカーさんの顔が見える(恐)。食べても食べても痩せていくというスティーブン・キングの映画『痩せていく』まで思い出してしまった。

オイル、卵、酢、塩、これだけでいいのでは。浴びるほどにマヨネーズを食べるわけではないだろうし、節度を持って食すればいいと思う。『買ってはいけない』という本がある。週刊誌(『週刊金曜日』)の連載を編集してまとめたもの。連載時にずっと読んでいたが、エコナの件も事件前に既に注意を喚起していた。

市販の加工製品を全否定はしないし、出来ない。必要なものも多々あり私個人も非常に助かっている。でも、忙しい忙しいと言い続けていると、それが言い訳に取って代わり、食卓から手作りが消えて市販品だけになるような危惧も。
17日のブログの冒頭で記述したように、忙しい人が増えて手作りが減った。「米を買わず」「ご飯を買う」「おかずを作らず」「中食を買う」という図式が成立している。

余談続きながら、つい先日の「白菜の浅漬けO157感染死亡事件」では、スーパーで購入した浅漬けで4歳の子が亡くなった。この悲劇ももちろんのことだが、食卓に乗る漬け物も市販品が一般的になったのだなと感じた。新聞には近くに住む祖父が63歳とあるので親世代は30代ぐらいだろうか。家族が買った浅漬け、とあった。祖父側?30代側?そこはわからなかった。個人的には祖父側だったらえっと驚いてしまいそう。この世代でも市販の漬け物なのねぇ。30代側なら、食卓に乗るのはこの世代では平均的なことなのかもしれないなぁと。確かに漬け物売り場にそれなりのスペースを割いているスーパー。でも、浅漬けはそんなに難しくはないけど、なんて”姑根性”がちらり。市販品の漬け物に必ず入っている化学調味料(アミノ酸)に何故か敏感な私は、どうもあの味がダメ(ポテトチップスは気にならないのだけど)。自家製漬け物で育ったからか。母は化学調味料他の添加物は一切使わなかった。漬け物だけでなく他の料理にも。


やはり、のどかな場所に暮らしているということが「おうちごはん」気運を盛り上げてくれていると確信する。デッキでも芝生でも家の中であっても、自然空間がそばにあることが大きい。鳥や虫の音をBGMに、風に揺れる木の葉を映像にすれば、5.1サラウンドも真っ青な「ナチュラル・ライブ・シアター」になる。豪華に何かを作る必要無し。庭で採れたハーブを地モノの野菜と地モノのイワシにまぶしてささっとグリルし、ぽーんとプレートに乗っける。それに手作りのバゲットにワインを添える。夫と犬という、大切な家族が楽しさを添えてくれる。超満足!三ツ星レストランに負けない味!

手作り「おうちごはん」続編LaughWinkingHappy

「おうちごはん」の第二弾。

野菜畑から。ずぼらな私。野菜作りも毎年ではない。今年は数年ぶりに。キュウリ、インゲン、ズッキーニ、スイートバジル、イタリアンパセリ、アイコトマト。

ものの本によると、ズッキーニは人工的に受粉が必要だと。雄花と雌花がそれぞれ大きくて別々のため、蜂さんたちが活躍しづらいのか?毎朝きちんと確認し、開花があれば必ず受粉。だが不思議な事に、中には雌花が開かないままのものもあり(写真真ん中)、そのままにしておくと先っぽから腐っていくらしいので小さいままで収穫。写真左の通常サイズに比してなんと可愛いことか。でも、しっかと食べますゾ。


左とそのちょっと奥がズッキーニ。右がスイートバジル。ズッキーニの奥にそびえ立つのは実はゴーヤ。何かのオマケにあったゴーヤの種を見つけ、捨てるともなく植えるともなく土に蒔いたところ出てきた、出てきた。電気代節約の代表格、ゴーヤの緑のカーテンと言われるが、こちらでも強い西日を少しは遮ってズッキーニを守ってくれているのだろうか?


意図した訳ではないのに芽吹いたゴーヤ。まだ小さいが実が育ってきている。夫はあまりゴーヤが好きではないので、食べるのは私だけになりそう。大量に実ったら友人にお裾分けか。

一時期大豊作だったインゲン。友人たちに裾分けするも続々、続々と。だが今は鳴りを潜めてしまった。そして、衰退期に入りつつあるが、今もそこそこ収穫できているのが
キュウリ。たった1本の苗木なのにすごい。最盛期にはあっという間の10本、15本が冷蔵庫に。夏のキュウリは「極安」なのであまり友人にも喜ばれないかなぁと。ならば、なにか作ってしまおうと決意。


そしてこれ。スイートピクルス。普段購入する味を再現したいと考えた。日本語のサイトを見るが、なんとなく違うなぁ。浅漬け感覚やラッキョウの甘酢付け風スタイルのような感じが。やはりオリジナルの国か。英語版のレシピをチェック。いくつか見た中でやってみたのがこれ。塩を入れて沸騰させた塩の湯をかけてそのまま冷まし、を3日間。4日目から甘酢作業。英語のレシピで面倒くさいのは単位の違い。グラムではなくクォートやオンスやら。1カップの量も違う。換算の必要あり。欧米のレシピは、粉類、砂糖類なども2カップとか3カップといった、いわゆる「かさ」で示すものが多い。日本にもそうしたレシピはあるが、どちらかというと「重さ」表示が多いように思う。

特にパン作りを始めてから気づいたのは、粉の総量に対する他の材料の量比率を「ベーカーズパーセント」で認識することが重要だということ。他の材料とは、水、塩、イースト、砂糖など。特にバゲットなどハード系の場合は、粉に対するイーストの量は、0.4%とか、0.1%というレシピもある。300gの粉に対する0.1%はなんと0.3g。小さじ1/8にも満たないが、見た目の「かさ」で計るのは困難を極める。


キュウリはもちろん「和」で重宝する食材。きゅうりのきゅうちゃん漬け物というのがあった(ある)が、クックパッドで見つけたレシピを自己流に変えてやってみた。沸騰したお湯に2分程度茹でたキュウリを漬け込むだけなのに、めちゃくちゃ美味しい。


漬け汁の比率は、醤油1、みりん0.5、米酢0.15ぐらい。ショウガの千切りと小口切りの鷹の爪も入れて。初日から数日はそのままで食べてもオーケー。その後は少し味が染み込んでしょっぱさが増すので、冷や奴に乗っけたり、炒め物の具材にしたり、色々と。冷蔵庫に入れておけばかなり長期に渡ってもつ。涼しくなって比較的高嶺の花になる手前、激安のキュウリが出回っている今がチャンス。ちなみに私が漬け込んだ量は14本!だけど、完食!。友達に少しお裾分けをしたところ大感激され、即作ってみるとメールがきた。

手作り「おうちごはん」WinkingLaughHappy

パンが出費ベースでお米を抜いたそうだ。自らお米を購入して研いで炊くことが減ったのだと。お米は弁当やパック入りご飯などにカタチを変えて引き続き胃袋には入っているということか。忙しい人が多いのだろう。スーパーやデパ地下の総菜、つまり「中食」が増えているのも大きな要因らしい。確かに。スーパーに行くと、総菜コーナーの大きさが目につく。鮨セットからサラダ、種々のおかずにいたるまで、出来合いものの数は半端じゃあない。こんなに売れるのだろうかと思うが、様々な年代の客たちが買っていく姿を見る。核家族も増え、1人2人分を作るのは材料費の効率が悪いから買ってしまおう、ということかも。何十年と台所に立った主婦にとっては、そろそろ楽をさせてもらいたいということもあるのか。

翻って我が家。いまのところ明らかに上記に逆行している。料理は嫌いではないけど、好きでもない。得意とは決して言えないし、いつも手抜き方法を考えている。もっと年をとれば上記の仲間入りをするのかもしれないが、今は手作りの「おうちごはん」を楽しんでいる。年齢に比較して主婦業生活が短い私は、おうちごはんの良さに気づくのも遅かったように思う。どこに出かけるよりも家で食べることが楽しいと思えるようになったのはこの5〜6年のような気がする。

おうちごはんに親しむということが必然的に「より手作りもの」を増やすのか、ここ数年その種類が増えてきた。

まずは、塩麹。既に作っている人は多いと思う。手作りの味噌を毎年仕込んでいるので麹は入手できる。ならばと。知り合いが2キロの麹を仕込んだ。え〜っ、多過ぎないか?と思ったが、私も現在1.5キロ分は消費済み。2月に最初の1キロを。あっという間に消費。で、追加でこの5月頃に。それもじわじわと減ってきている。

日々使う分は、瓶などに入れて冷蔵庫に。使っているのはインスタントコーヒーの空き瓶。プラスチックスプーンを入れたままで蓋が締まるので重宝。


まずは試したい一夜漬け。塩だけのものと違い、なんともまろやかな塩味。


サラダ感覚でポリポリ食べられる。


サバにまぶして冷蔵庫に一晩置く。


生のサーモンにつけて焼いたもの。焼き魚が違って感じられる!


和だけでなく洋にも合う。バルサミコ酢のドレッシングに。


マイルド系のソースにも。つぶつぶ感がわかるほどに乗っけるとより美味しい。

次は、あんこ。ネットでググり、炊飯器で作るあんこレシピを見つけた。茹でこぼし、また茹でる、というプロセス無し。コンロの火の番をする必要も無し。これは便利。しかも美味しい。市販のものはかなり甘いが、こちらは砂糖の量を自分好みに調整できる。


おはぎも自家製。ホームベーカリーで餅つきをし、炊いたご飯と合わせて。抹茶もきな粉も美味しかった。そうだ、パンも自家製なのだから、あんぱんも。フランスあんぱん。皮がぱりっ、甘過ぎないあんこがふわっと。

そして梅ジャム。我が家の梅の木からとれた梅の実。作った梅干しがたんまりと残っているので、それなら違うものを作ってみようということに。あんこ同様で、こちらも甘さを自分流に調節。正直言って、すごく美味しい。自画自賛!リーンな食パンことパン・ド・ミをスライスして、バターと梅ジャムで。イギリスのB&Bの朝食を思い出した(梅ジャムではないが)。

2キロ近くあった梅。ジャムになるとすごく少量に感じる。種を抜くからだろうか。

ドクダミ茶葉。6〜7月頃、ドクダミに花が咲いた頃に収穫し、茎を何本か一緒に束ね、逆さに吊るして乾かす。完全にパリパリ、ドライになったらハサミで適当に切るだけ。母親もよく作っていた。身体にいいからと、煎じたドクダミ茶をポットに入れ、父はそれを毎日全部飲みきっていたことを思い出す。

敷地に自生するドクダミを収穫した。毎年やればいいのだがいつもうっかり忘れてしまう。今年の茶葉は数年ぶり。

自家製ではなく、
自給自足系で「ぜんな」。外房で獲れるのはアサリではなくハマグリ系で「ぜんな」というらしい。獲れるピークは5月だが、8月最初の大潮までしっかりととらせてもらった。ドクダミ茶とは違い、潮干狩りは比較的毎年行っている。海を楽しみ、そして美味しい思いができるからか。

何年も参加を見送っていた夫だったが、今年は初のジョイン!すっかりハマってしまった様子で、何度も「次の大潮はいつ?」と質問された。

クーラーボックスの底に網のようなものを置く。これにより、吐いた砂や排泄物を再び器官から吸い込むことを防げる。砂を早く吐かせるには絶対に海水が良い。丸一日置いた水道水(塩素抜き?)に3%の塩を入れたとしても、いまいちの吐き方。やはり海水は有機的なのだろうし、馴染んだ水。


ボンゴレなら15人前の量があったような。酒蒸しやら何やらで美味しくいただきました。海の神様ありがとうございます。

癌の早期発見は誰のため?HappyHappyHappy

臓器転移後に見つけても手遅れ。だから癌は早期に発見して排除し、転移を防ぐことが一番だと言われる。この理論を常識と考えてきた私が出会った本『がん放置療法のすすめ』(2012年)。全く真逆をいくような理論だ。

著者は近藤誠医師。”早期発見理論”の中心にいそうな放射線科の医師である彼が、癌学会を敵に回すようなことをやっている。近藤氏を知ったきっかけは、この3月、乳癌で亡くなった渡辺容子さんの新聞記事。享年58歳。彼女が実行した治療法がまさに「がん放置」。私の周囲でも親しい女性たちが乳癌に罹患している。私にも起き得ることでもあるため興味がわき、彼女が著した『乳がん/後悔しない治療/よりよく生きるための選択』を購入した。

たった5ミリのしこりを乳房に見つけた渡辺さん。一般的には1センチを早期発見というのだから驚異的な指の感覚の持ち主と言える。近藤医師の元を訪れ、その後しこりをそのまま”放置”すること6年。しこりが4センチほどになり、リンパ節転移が1センチになった時点で治療を開始した。

「えっ、何故放置?。放置療法を実践し本まで出版したのに、結局亡くなったのだから、やはり5ミリの時点で早期治療をすれば再発転移は防げたのでは?」。と、これが誰しもの感想なり異論であろう。

しかし、私たち素人は癌についてどこまで知っているだろう。いや、素人だけでなく、医師たちがその道のプロだと言い切れるのだろうか。新聞記事や広告チラシ、”癌の名医”や”癌は治る”といったノンフィクション本の類など、癌に関する情報はおびただしい。だが、近藤氏の著書の読後でそれらを考えてみると、癌の特徴についての説明が実は”不足”していることに気づく。癌は早期発見して治療さえすれば怖いものではないという結論に導き、我々素人を安心させているが、肝心なエッセンスが抜け落ちていることと、自分たちに都合の良いようにデータを使っていることに気づく。

さて、先の渡辺さん。こんなことを敢えて考えてみる。5ミリのしこり発見直後から治療を始めた場合と、実際に彼女が行った6年放置後からの治療。両者の死亡時期は同じになる。渡辺さんは二人存在しないので、実際には不可能な実験だが、こうなることを証明するデータはきちんとあるというのが近藤医師の理論。

癌の特徴を大雑把に説明する。癌細胞は正常な細胞が何らかの原因で傷ついたものであり、細胞1個の大きさは10ミクロン(100分の1ミリ)からスタート。細胞分裂は2倍2倍とネズミ算式に増え(倍になるまでの期間をダブリングタイムという)、1000倍ぐらいで1センチとなり、しこりとして認識できる大きさになる。PETやCT他最新の機械をもってしても癌が発見できるのは数ミリサイズから。早期発見と言われる1センチでの細胞数は10億個にも及ぶ。一番最初に癌化した10ミクロンの癌細胞を原発癌と言い、原発癌が増殖するどこかの時点で生じるのが転移癌であり、転移癌は原発癌がミクロンのサイズ時に発生する。転移癌は転移するという性質を備えたままで増え続け、それを止めることはない。従って、転移癌は基本的に治らない。

大きくなっていくダブリングタイムに個人差はあるが、原発癌や最発転移癌が出来た時期は計算できる。渡辺さんの場合も5ミリ(40歳の時)から4センチ(46歳の時)になったその差異で計算可能。彼女の著書によると、原発癌5ミリのしこりが10ミクロンで発生したのは、彼女が22歳の時(或いはもっと若い時)。4センチ時点で同時に確認されたリンパ節転移は1センチ。同様に計算すると転移癌は彼女が26歳の時(或いはもっと若い時)に発生。

だが、ここからが肝心。もしも医学の術を全て結集して彼女の再発転移癌除去に臨むなら、転移癌が発生する直前で阻止しなければならないことになる。だが、転移癌10ミクロンが発生したのは、原発癌が40ミクロンの時。最新技術をもってしても確認できない大きさ(小ささ)である。機械を使って転移型の癌細胞を見つけられないなら、血液検査や皮膚や粘膜検査など、何かの数値から転移癌を見つける方法を探求し生み出すしかない。だが、残念ながら医学はそこまで進歩していない。彼女の転移癌が発生した時点で原発癌細胞数はたったの64個だった。機械にも映らない微小サイズの癌細胞が転移癌細胞を生み出す。転移型は”転移”ということがあたかも宿命であるかのように、ヒトの身体が滅びるまで永久に転移を続けるという。1センチで既に10億個にも及ぶ細胞数。それを「早期発見おめでとうございます」と言って喜ぶが、見えないほど微小な中に備えた驚異的なパワーを持つ強敵はそうした医療をあざ笑っているだろう。

”2人の渡辺さんの死亡時期”を比較した場合、両者ともに同じであるという理論の中身がこれである。そうなると、どのような癌治療をしていくかが重要な要素となる。QOLというが、まさにその通りで、彼女もそれを選んだ。強く賢く生きた渡辺さんは、あちらでも逞しく生きていると信じる。

近藤氏の著書で驚かされたことの一つに「都合の良いデータの使い方」がある。例えば再発転移癌に”9割以上の効果”が認められた某薬を勧めれば患者は当然飛びつくだろう。結果、癌細胞が1センチ縮小し使わない場合より3ヶ月の延命を得た。だがその実態は、その薬による治療期間を7ヶ月とすると、嘔吐と下痢で7ヶ月間苦しみを味わい、それゆえ体重も激減して身体が衰弱し、残りの3ヶ月は寝たり起きたりで過ごす可能性が大。使わない場合は3ヶ月短命となるが、”7ヶ月間”は苦痛もないままで自分の好きな事をして過ごせる。レストランで美味しい食事をし、友達と旅行を楽しむことが可能となる。”癌放置療法”を実践した近藤氏の実際の患者で、亡くなる1週間前まで通院してきた例は少なくないという(杖を付き、弱々しい足取りかもしれないが)。ちなみに、この都合の良いデータ使いはあくまでもほんの一例であり、著書を読むと他にもたくさん例が載っている。

癌検診、健康診断、人間ドックにより、”早期発見”は著しく増大する。だがこれも違った視点から観てみるとこうなる。例えば、64歳で自覚症状が出て受診し、数センチの癌が見つかったとして、そこから治療をスタートし、癌の再発により77歳で亡くなった人がいるとする。一方、健康に留意する自身の考えや自治体からのススメによる40歳からの癌検診を毎年行うことで54歳で癌を”早期発見”し、医師から”おめでとう”と言われ、そこから抗癌剤や外科手術、放射線治療を始めるが、その後の再発により77歳で亡くなった人がいるとする。死亡年齢は同じだが、前者は治療スタートからたった”13年しか生きられなかった”人。後者は、マジメな癌検診による早期発見で”23年も生存できた”という人。都合の良いデータは、早期発見による”10年延命”を声高に話すだろう。早期発見のカラクリの一つである。早期イコール若い頃からの癌保険ということで、保険会社も儲かる仕組みと言えないだろうか。

アップル社を創立したスティーブ・ジョブズ氏。2003年、膵臓に見つかった原発癌の手術を拒んだ彼だが、その9ヶ月後の膵癌増大により手術を受けるも2008年に肝転移、2011年に亡くなった。後に彼は手術を拒んだことを悔やんだそうだ。だが、渡辺さんの例と同様で、最初に見つけた膵癌よりももっと早い時期に肝転移は発生していた。従って、2003年の原発癌をすぐに手術で除去したとしても、死亡時期が変わるわけではない。”拒んだ9ヶ月”は悔やむどころか、好きな事ができたと言えないだろうか。

癌治療については、ここでは書ききれないほど大切な事が他にもある。いくつかの癌を除けば抗癌剤は百害あって一利無し。病院や医師と製薬会社・医薬品メーカーとの利害関係。癌であるかどうかを決定する専門家の生体検査結果にはかなりばらつきがある。早期発見であればあるほどそれが本物の癌であったかどうかは不確か。英語の論文も読めない(読まない)医師たち。癌に対する外科手術偏重の日本。医療被爆量が世界平均の4倍、イギリスの8倍にも及ぶ日本。癌検診の無意味さ。早期発見の無意味さ。我々一般人を大上段から見下ろし、”先生”と呼ばれてしまう医師たちの”人間性”、などなど。

「早く見つかってよかったですね。まだ1センチあるかないかぐらいですよ。こうなったら早く退治してしまいましょう。そうすれば安心ですよ」と、医師たちは異口同音にそう放つ。そしてその後は、「今、すごく良く効く抗癌剤が出てるんですよ。あなたの場合、ホルモンがxZotK%%Unに加えて82$&3ysdGなので、データからもっと効果が出ているI6LUypzを試し、これまた効果が示されているxX#"'&%$をやって,*`ljBで様子を見て、c'&%"0)|)(}なり`*+D2!Lngyなりが見られないようならsrea98を行ってすぐに37gjp3idでいき、手術して取りましょう。この大きさで取ってしまえばデータ的にも延命効果が大ですので。よろしいですね」。こっちは「??????」で、「はい、よろしくお願いします」。理解できない専門用語が次々と出てくるとちんぷんかんぷんになる素人の我々。でも、時々「データ」やら「延命効果」が出てきて良さそうに思え、医師を信頼して任せることになる。

最近はきちんと言葉を噛み砕いて話す医師も増えたが、基本は同じ。つまり、我々素人が「癌の性質・本質」を知らなさ過ぎるし、医師たちの無知もあってのことだろうが、きちんと伝えきっていないことの方が多いように思う。徒弟制度のように、自分が師事するセンセの治療法を踏襲するため、医師たちはマニュアルに従って治療するだけだ。医師たちは立場的にも「無治療」はできないと思っている。早期発見で癌らしきものが見つかったにもかかわらず「様子を見ましょう」とは言えない。癌であるかどうかが定かでないにしても、”らしき”ものが見つかってしまえば、患者側も何かをして欲しいと思う。してくれなければ余計に不安にもなる。また、静かに息を引き取らせてあげる方が良いとどこかでわかっていても、最期の最期まで治療という努力をしているという”ポーズ”も医師側に必要なのだ。小走りに動きまわる看護士たち。患者に覆いかぶさるようにしながら何かを診る医師。時に額に汗し、息づかいも荒く真剣なまなざしの医師。そして「ご臨終です」と腕時計を見る医師。さめざめと泣いた後、「先生がよくしてくださったお陰で、あの人もここまで頑張れました。ありがとうございます」と頭を下げる患者の家族。この両者の心理構造も揺るぎない癌治療活動の根底を支えている。

まだまだ発展途上の医療であることを考えれば、近藤氏の理論はあくまでも一つの考えと言われるかもしれない。だが、どういうデータであるかをきちんと明示した上での解釈を行う近藤氏の著書は、素人の私でも理解できることが多い(きちんと理解するにはもう2〜3回読み返す必要があるが)。専門用語で誤摩化す医師たちとは一線を画する。アマゾンの中古で購入したものも含め、2500円程度の出費で8冊か9冊ほど購入できた。古いものは1994年出版、最新は2012年まであるが、90年代に書かれた本の内容も基本的に現在でも通るものばかり。皆さんにも是非お勧めしたい。

参考に:『治るがんと治らないがん ー医者が隠しているがん治療の現実ー』『患者よ、がんと闘うな』『患者と語るガンの再発・転移』『がん治療「常識」のウソ』『よくない治療 ダメな医者』他。