8,760時間HappyWinkingLaugh

今年のブログを振り返ってみて感じることがいくつかあった。

一つ:ブログは誰に向けて書いているのか。公開日記であるから読者を意識しないわけにはいかない。でも、誰?

二つ:どういうメッセージを放っていくのか、いきたいのか。一つめのことにも通じるが、誰に向けて書いているかによって違ってくる。

三つ:完全にパーソナルなものとしたいのか、多くの人に読んでもらいたいと考えているのか。バナー広告、相互リンク、メタ言語駆使などによるヒット数増、など、金銭目的も含め、戦略的にブログを知らしめて行きたいのか、という課題にも直面する。

一度スタートさせると、ブログはある意味「プレッシャー」になる。もちろん重々しいプレッシャーではないが。3日に開けずブログを書いていた人がしばらくブログを留守にすると、再開した時に必ず「謝罪」に近い言葉を書いてしまう。私もその気持ちはわかる。だが果たして誰に謝っているのか。もちろん読者なのだが、書きたいときに書き、書きたくない時には書かない、あるいは書けないときは書かない、ブログはそれでいいはず、なのに。しかし、やはりブログは継続ものなのだろう。継続するからには、やはり読んで欲しいと願う。そうした気持ちはブログの中断をさせづらくし、再開後の謝罪気分にもつながる。

また、一躍有名にでもならない限り、基本的にブログの読者は「身内」。決して多い読者数とはいえない。だが、「身内」が読むからこそ、どこまで「本音」を書けるのかという課題も生ずる。内容によっては「身内」の誰かを傷つけることもあり得るため、言葉は選ばねばならない。「身内」の個人的な情報を公開するには許可が必要だったり、あるいは掲載不可能ということもある。「身内」が読んで、それが「身内同士」の内容であることもあり得るから、これまた配慮が必要になる。

ここでいう課題やら配慮は、決して「身内」に対する罵詈雑言ということではない。そこまで深刻な内容ではない。だが、書く側が書き綴りたいと思うことが、書かれる側の意識とのずれにより、書けなくなることもあるような気がする。活字には身振り手振りの表情がないからこそ、言葉も選ばねばならない。

また、自分自身のことを書くにしても「限界」がある。知られたくないことを書く人はいない。都合の悪いことはパスしたいものだ。だが、「非公開」の日記なら全てを綴るだろう。心の全てが書き留めてあることが日記なのだから。公開されるブログとの大きな違いがここにある。だが、読みたいと思わせるブログには「心」がある。それが「非公開」の側にかなり多いこと、この皮肉な事実も重い。

私のブログは8月下旬からスタートしたばかり。全く深刻な場面に遭遇したわけではない。だが、多少のジレンマを感じ始めてはいる。2010年はそのジレンマに向き合ってみようかと思う。

今日は大晦日。12月31日と1月1日、たった1日違い、大晦日の夜11時59分と元旦の零時ではたった1分の違い、隣り合った時間にもかかわらず、何故か気持ちも新たな思いにさせてくれる。来年こそはと願う、そういう気持ちに応えるかのように「新年」があるように思う。とてもありがたい。

1日24時間。365日目の今日で8,760時間という時間を過ごしてきたことになる。ブログには時間表示をしない設定にしているが、これを書いていた時刻は朝の6時30分。今朝はなんと4時20分に目が覚めた。満月の月明かりがとても美しかった。

10日前から「チクタク」とともに行ってきたカウントダウン。
あと17時間半で2009年が終わる。チ・ク・タ・ク。

ゲストの多い1年HappyLaughWinking


2009年度としては最後のゲストです。先ほど帰りました。とてもステキな女性たちでした。

今年はゲストが多かった1年のように思いました。ゲストが多いということは自分たちの休みがない、ということにもつながるのですが、やはりこの大自然をシェアする喜びの方が勝るということを否定できません。誰もが感動してくれる堰からの眺め、見渡す限りの森、森、森。この3人も例外ではありません。ちなみに3人は英米仏。3人とも英語とフランス語を話しますが、迎えに行った車中では後部座席でずっとフランス語を。英語と共通する単語を拾いつつ、耳を澄ますのも楽しかったです。


ディナーはターキー。オーブン任せの料理は手抜き料理大好き人間の私にぴったり(笑)。

我が家を後にするゲストが必ず言う言葉は「また絶対に来たい」。この大自然がある限り、このセリフがお愛想でないことは百も承知。来年も絶対にやってくるでしょう(笑)。

自分たちの休日を守りつつ(楽しみつつ)、肩の力を抜いて、来年もまたステキなゲストたちに会いたいと思います。
2010年まで、あと1日。。。
チクタク、チクタク、チクタク。

歓迎、田舎引っ越し組WinkingWinkingLaugh

年末カウントダウンがスタートした気分の今。ここ数日のブログを見ると、2009年を振り返っているような内容に。26日のリンゴ、27日の産廃、28日の犬たち、と続き、して本日は、タイトル通り(^^)/。

今年は「田舎暮らし組(都会脱出組)」が増えた年であったように思います。増えたといっても2~3組ぐらいなのですが、比較的親しくしている間柄でのことであり、”多い”という気持ちとともに嬉しさもひとしお。


引っ越しを完了させた順に、まずは外房の海沿いの家に引っ越した家族。以前このブログでも紹介したことがあります。海沿いに家を構えるなら、彼らのような立地は最高。自分たちの住環境と同様、人里離れた地、は心地よいです。多少は開発スピリッツを求められるかもしれないけれど、開発過程や成し遂げた後の達成感は言葉では言い表せません。一種の爽快感すら。リビングの窓からも海が見え、これまた美しいですね。ロト6で3億円ぐらい当たったら考えてみたい、ですが(^^).。

次も海沿いの家。こちらの家族は外房ではなく三浦半島側。つまり神奈川県。

引っ越しを終えた彼らから送られてきた写真がこれ。朝6時頃、こんな風景です、と。むむ、これが日常だとすると限りなくルール違反のような光景(笑)。羨ましい限りの眺めですねぇ。富士山も見えているんですよ。信じられない美しさ。外房の海とはまたちょっと違って、穏やかな海という感じも。


そしてまた、家がなんとも素晴らしい。元々建っていた家があり、それを改築。建具屋さんに作ってもらった部分もあるらしいのですが、障子や木戸など、古い家にあったものをかなり多く活かしたそうな。とてもいいことですし、風合いもあったか、です。


私は和洋折衷の家が好み。「和」の中の「洋」、かな。このステキな和の外観、そしてストーブ。いいですよね。梁の通った天井に床のタイル、これがうちの折衷(^^).。我が家の外壁も腰板ありですが、安く仕上げるために板の重なりがありません。でも彼らの家の場合は、雨仕舞いがなされた”正式”な方法。上の板が下の板に少しだけ重なり、それが雨を地面へ導き、壁側への浸透を防ぐというものですが、次に張り替えるときまでにはそこに当てる予算を工面したいと思います(汗)。

リビングから海の眺め。左がリフォーム前で右がリフォーム後(だと)。どちらも甲乙付け難い美しさですが、住人の彼らにとっては今の方が住み心地のよい空間になっていること、間違い無しですよね、はい。


リフォーム前のものですが、画角が素晴らしい。小津安二郎という日本屈指の映画監督を思い出します。障子や襖越しの映像で遠近感の演出を随所に取り入れることでも有名な監督ですが、なんだか小津映画を彷彿させる雰囲気があってとても好きな写真です。


最後に登場するは、もうすぐ引っ越し完了という家族。年越しそばと引っ越しそばが同時進行とも(^^)/。写真にあるように、ステキな古民家を購入。写真は地鎮祭時のもの。祭壇があって周囲にロープのある辺りに家を新築し、住まいながらの古民家リフォームとなる様子。全てが完結する新築の家があり、そこに居ながら、あれやこれやと古民家の構想を練るのは楽しそう。とてもセンスのある2人ですので、ステキな空間を創造することでしょう。


新築の家はほぼ完成。大きなオウムちゃんたちがいるため、ガーデン側に専用の小屋を建築中で、こちらもそろそろ終わった、と思いますが・・。この写真は、新築した家のロフト部分にある窓からの眺め。のどかな田園風景がステキですね。写真にはありませんが、別の窓からはこの美しい古民家と木々の生い茂った森の眺めが望めます。いいですねぇ。

親しくしている友達たちの中で、田舎引っ越しを考えながらもまだ完結させていない家族があと・・ぐらいいます。
来年、その家族たちも仲間入りを果たしてくれるかどうかは?ですが、見守りつつ、できることはお手伝いしつつ、でいきたいと考えております。

2010年まであと2日になりました。チクタク、チクタク、チクタク。

犬たちとの出会いWinkingHappyLaugh

2009年、今年も色々な犬に出会いました。うちの犬たちの散歩時もあれば、スーパーやホームセンターの駐車場、東京に出かけた時も。

出会った犬たちの写真を全て撮ることはできませんでしたが、撮影できた犬たちを見てみると、それぞれ出会ったときの状況設定やその犬の個性など、思い出が甦ってきます。

ということで、名付けて「2009年わんこ大賞」を発表(笑)。
どの犬が一番というわけではなく、印象に残った出来事と犬ということなので、「大賞」はかなりこじつけですが(汗)。


左上。駐車場で出会った犬。車の中でおとなしくしていて、カメラを向けるとなんとなく恥ずかしそうに。でもカメラ目線は外さない(笑)という犬。なんかこう落ち着いた中年のご婦人という雰囲気が漂っていてよかったです。

左下。Yさん&ポーちゃんと一緒に散歩。田園風景の中、大人3人、犬3匹、そんなひとときがほんわか気分にさせてくれました。

右上。手術後のエリザベスカラーが痛々しくも笑わせてくれるZippy。人が大好きなZIppy。カラーを付けたまましっぽを夢中でフリフリして出迎えるため、バランスを崩しそうになる一面も。それがまた愛らしい。カラー、もう取れたかな。

右下。ホームセンターの駐輪場。おとなしく自転車のカゴに入ってご主人様を待つ、その健気な姿に顔がほころびます。カゴにぴったりサイズというのもまた楽しく可愛い。別のアングルで撮った写真には、カゴのヘリにちょこんと乗っかった脇腹のお肉が写っていて、これまた親近感が(笑)。


「とても可愛かったで賞」はこの写真の子たち。色々なところで出会った「わんたち」。
撮った写真をこうやって見ていると、カメラがなくて取り損ねた「わんたち」も思い出します。来年はもっと色々撮りたいです。決意!!



トリを飾るのはやはりウチの子たち。

左上のポチは推定15歳(14歳かも)。今年は少し耳が遠くなった感じがありました。外耳炎も少々。薬でどうにか治まりましたが。歳をとると「子供返り」などと言いますけど、ポチはそんな感じも。リビングの南に同じ座布団が2枚。特定の所有ということはなく、右側の座布団だったり左側の座布団だったり、という具合に。ところがポチは、娘のウメが座っている座布団の方が何故か途中から「好き」になるなようで、座布団の上でくつろいでいるウメの前に鎮座し、吠えるというよりうめくように「ウォーッ、フォーッ」と声を発して座布団おねだり。優しいウメは文句も言わずに隣の座布団へ移動。1日に1度は必ず見かける光景。来年は何をおねだりするのかしらね?

左下のウメは13歳。もう何年も飲み続けている薬もあり、また今年は「全収縮期難聴」なる症状にも。上記のとおりで、心優しい娘犬(擬人化をしないでシビアに言うなら、決してアルファードッグではないとも。汗)。ちょっと神経質な面がありますが、親バカを全面丸出しにして言うなら、とてもとても優しくて可愛い子なのです(^^)/。

右上のコマは推定7歳。ほぼ、犬版ヘレンケラー。それに加え、関節疾患、フィラリア症、腎臓疾患(たぶん)、脳梗塞(脳疾患)の可能性も。捨て犬のコマが我が家の仲間入りを果たしたのは昨年の初秋。たくさんの病気を抱えているコマ。
コゴミの例もあり、あまり過大な期待をせずに、でも一日一日が無事であればと思うようにして過ごしてきました。でも今年の初秋で1年経過!。喜びすぎてはいけないと思いながらも嬉しさは隠せませんでした。今も健気に一生懸命生きています。

右下のマイケルは推定22歳。ちょ〜〜〜ご長寿。ポチと同様で耳が聞こえづらくなっている感じ。そのせいか声が大きく、時に裏声に??。関節(足腰)も加齢とともに、という感じです。毛も抜けっぱなし。1日の内、23時間は寝ている雰囲気。外に出ても行動範囲はせいぜい家から数メートル。食欲もあったりなかったりで、缶詰の種類を変えてみたりはしています。食べても食べてもそんなに太る事はなく、食べ過ぎは全く気にしていないけれど、食欲だけが気になるところ。噂では(誰の?)マイケルは500歳までは生きるらしいから安心だと(笑)。

みんな、人間年齢に換算するとかなりのオトシ。コマは少し若いけれど、それでも中年。誰もが色々な病気に見舞われる年齢です。それでもどうにかあと数日で大晦日。そして2010年は目の前に。

みんな元気で元旦を迎える事ができますように。

2010年まであと3日になりました。チ〜クタ〜ク。

遠山の金さん登場願うFoot in MouthEmbarrassed

「なんだかんだブログ」を始める際、日々の暮らしだから、カテゴリーはまず「喜怒哀楽」でいこうと。その後、いくつものカテゴリーが増えたが、なかなか「怒りが」の日が来ない。使わないまま設置となっても悪くはない項目でもあるし、ま、よしと。

しかしとうとう、それを使用する日が(涙)。
それは産廃ゴミ。12月の声を聞くと同時に警戒するのは産廃ゴミ。自然豊かであることは格好のゴミ捨て場にもなり得る。まさに諸刃の剣とも。今年のゴミは今年のうちにという気持ちなのかどうか、産廃ゴミを捨ててすっきりとした気持ちで年を越したい、のか??? そんな人が気持ちよく新しい年を迎えられるとは思えないし、今年行った”悪行”は年を越して初詣をすればリセットされるのだ、などという約束手形は「天や神」からいただける訳はない、ですゾ。


それほど遠くない場所にこんな産廃が。「これは不法投棄されたものであり、現在調査中です!目撃情報をお寄せください」という紙が貼ってある。産廃を置きっぱなしという向きもあるが、行政からの「警告」であるともいえる。今さら目撃証拠など出てくるとは思えないけれど、この文言により、次の悪を阻止、あるいは抑制力になるかもしれない。

行政の人数だけでは産廃対応は難しいのだろう。民間自警団を作る(既にあるかも)だけでなく、そこにある程度の「権限」を持たせてあげなければ、あまり効果は期待できない気がする。数年前、新聞の一面に「産廃ワーストワンの千葉県」、「産廃をゼロにした富山県」の記事があった。富山県では徹底的な追跡を行い、時には悪徳産廃業者をヘリで追跡、とあった。その記事を書いた記者は、東京に隣接し広大な面積を持つ千葉県が産廃の格好の場にされてしまうことに理解を示しながらも、それでもやはり最後は県行政の方針と行動力があれば産廃は阻止できると結んでいた。


こういう時、時代劇のヒーロー、遠山の金さんが欲しい!
産廃悪人:「金さん?、あぁ、あの桜吹雪の入れ墨のですか。あんな遊び人など、お信じになるお代官様こそご乱心では(ほくそ笑む)」
金さん代官:「おうおうおう、言ってくれるじゃあねぇか。(諸肌脱いで)その遊び人とはこの桜吹雪のことか。ってことはこの代官も信じられねぇってことになるぜぃ。」
産廃悪人:「(度肝を抜かれて言葉もない)・・・・・」
金さん代官:「参りましたの一言もねぇのかい、この悪徳産廃野郎めがっ。引っ立てぃ、引っ立てぃ」
ここでジャジャーンと音楽が入り、悪人たちは「参りました」とひれ伏す。
諸肌脱いでべらんめぇ、こんな正義の味方現れたら嬉しいのですが。

しかし、何故、このようにモラルのかけらもない人がいるのだろうか。産廃だけではない。タバコのポイ捨て、パンやチョコレートなどのセロハンを剥がしてポイ、お弁当の空きパックをそのままポイ、飲み終えた缶ビールやペットボトルをポイポイ、時には車の窓からポイと投げ捨て。子供も大人もやっている。手本を示さねばならない大人がこんな様子では、子供だって真似をするに違いない。

来年の暮れこそは産廃の心配をしたくないものです。
2010年まであと4日に。チクタク、チクタク。

嬉しく美味しい便りLaughHappyWinking


毎年美味しい「リンゴ」を届けてくれるA子。

長年にわたって絆を深め確固たる友達関係を築いていく、これが一般的には多く順当なようにも感じる。だが、袖振り合うも他生の縁、A子の場合はこちら。ひょんなきっかけで知り合った私たち。私が一人旅で出かけたドイツのデュッセルドルフで幼少期を過ごしたA子。これまた小さな要素が次第に”袖の振り合い”を増やす。あれよあれよという間にか親しくなり、夫と私がアメリカに出かけた際、家に泊まり込んで犬猫の世話までしてくれた。

しかし、その”振り合った袖”を離す時はあっけなくやってきた。A子との夷隅での付き合いは1年から2年ぐらいだった気がする。リンゴ園を営むステキな男性と巡り会い長野県へ。北アルプスのふもと、標高約700m、寒暖の差が激しいこの地域はリンゴ栽培に適しているのだとA子。

元々、オーガニック栽培に興味のあった彼女。化学肥料は一切使用せず有機肥料のみ。その有機肥料も茶葉やコーヒー化粕などを発酵させて堆肥化させている。無農薬が難しいと言われるリンゴ果実にあっても、その使用を通常の3分の一から半分位に抑えているという。「長野県環境に優しい農産物認証」も取得したそうだ。

しっかりもののA子。長い付きあいではなかったけれど、彼女の「思いやりある優しさ」と「芯の強さ」は理解している。その要素が合体すると、あったかーい女性、A子になる。リンゴの到来とともに「ありがとうメール」を送るのは礼儀として当然ながら、文面にいつも「来年こそは会おうね」を書くのだが、長野に引っ越して以来実現していない。リンゴをいただくばかりでは、言葉の上滑りであるとの誹りは免れない。だからこそ来年は実現させたい。

美味しいリンゴをほおばりながら、カレンダーを見る。
2010年まで、あと5日。チクタ〜〜ク。

Merry Christmas!!!WinkingLaughLaugh


Merry Christmas!!!

2010年まであと6日となりました。チクタク。。

タクシーの中の人生模様WinkingWinkingLaugh

東京で時々利用するタクシー。終始無言のタクシードライバーもいれば、終始喋りっぱなしのドライバーもいる。会話をするしないに関わらず、料金を払って降りてしまえば通常は忘れていく対象。

ところが今年は印象的なタクシードライバー2人に出くわした。


一人目のドライバーは、とても爽やかな印象。話題は政権の話。私の過去の経験では、何故かこの手の話の時、決まってドライバーたちはネガティブ。時には斜に構え、どうにでもなれと、捨てっぱちである場合。また、応援する党がありながらも話し振りはネガティブ。狭い車内を暗い雰囲気でいっぱいにする。

だが、今年遭遇したこのドライバーの場合、決して政治に高望みをする言い方はしないのだが、かといって罵倒するでもなく諦めた言い草をするでもない。淡々と話すのだが冷たい感じはなく、しかもそつのない話し振りである。ドライバーが話した実際の文言は確かではないが、政権がどう変わったとしても生きて行くのは自分自身の足なのだということを、お仕着せでなく、諭すでもなく、あくまでも冷静に語るのである。

そして色々と話しているうちにわかったことは、彼は元々輸入服飾関係の店舗を構えていたこと。景気後退で店を維持できなくなったために閉店し、顧客に直接販売する無店舗に切り替えた。年に数回はイタリアに買い付けに出かける。平日は顧客対応、そして土日だけタクシードライバーとして働いているのだとか。栃木に家があり、妻子はそこに住む。彼は東京に単身赴任とも。イタリアが大好きで、引退後の移住を考えているのだとか。


二人目のドライバーは、とても柔らかな第一印象から始まった。話題は宝くじ。”日本一”の西銀座の宝くじ売り場が目に入り、自然に。1千万円当たったらの質問にそのドライバーは、まだ1歳の子供がいるため、教育費その他に、と。むむ、背後から見てもゴマ塩頭。ちらっと前座席の写真を見るも、やはり60歳ぐらい?と。1歳のお子さんねぇ、と思いつつも、次なる額は5千万円に。すると、しばし考え込んだドライバーは、「ちゃんと家(分譲アパート)を買いますね」と。何か事情がありそうな雰囲気を察する。もしも話したければ話すだろうと思い、少し間を置く。すると、そのドライバーは身の上話を切り出した。

小さな工場を持っていたドライバー。妻も子もあり。2年ほど前に友人たちと一緒に外国へ出かけゴルフを。同じゴルフ場で彼らの前方でプレーをしていた女性たちがおり、ひょんなきっかけから皆で食事をすることに。そしてその中の一人の女性に恋をする。彼女は20歳ほど年下。中学生の子供が一人。夫とは死別の未亡人。

当然、自然、必然、ねんごろな仲になる。妻に打ち明けると、全財産放棄するなら離婚を承諾すると言われる。そしてその通りに。ただ彼の誤算は、財産を放棄しても、工場には残って仕事ができると考えていた事。だが、全財産放棄が意味するのは、彼が持っていた会社の株も全て放棄となる。工場は既に息子が采配を振る。世代交代はできているのだ。そうなるともはや財産のない「60男」は「用無し」だと、彼の妻が三行半を突きつけたのかどうか、細かい心理詳細はわからないが、会社もクビになる。とにかく体よく追い出されてしまった。

60男の再就職が難しいのは世の習い。そして彼はタクシードライバーの道に入る。望んでこの道に入ったというよりも、これしかなかったという雰囲気があった。それにしては柔らかで明るい印象だった。もちろんその理由は、愛する女性と再婚し、現在1歳になる子供もできたこと、だろうと思う。今は東京で賃貸アパート暮らし。連れ子がとても親思いでいい子なのだと嬉しそうに語るドライバー。妻は掃除の仕事をしている。


タクシードライバーでふと思い出した事がある。好景気に支えられていた四半世紀ほど前、タクシーに乗った。そのタクシードライバーは自費出版で本を書いたようだ。たまたまそのタクシーに乗った私に、彼は軽快にセールスを始めた。助手席に平積みされた著書。客との面白い出来事を綴ったのだそうだ。セールストークにつられて思わずその著書を購入した。もう私の書棚にはないが、後部座席の珍なる忘れ物、女性客と「いい関係」になった事など、色々なエピソードが書いてあったように記憶している。

本も出版するタクシードライバーはさすがに異質かもしれないが、バブル期に限らず好景気に支えられた時代は東京のタクシーも活気があった。電車など使うことがなかったようなバブル期の夜に至っては、タクシーがなかなかつかまらなかったものだ。

それに比して考えると、先の2人のドライバーはまさに現在の不景気風の影響をまともに受けているといえる。そうした中でも、幸せに向かって前向きに生きている2人のドライバーには頭が下がる思いである。しかし、服飾の方のドライバーは目標に向かって邁進しており、それほど心配はない気がした。

だが、お節介ながら、1歳の子の親となった60代の男性は少々心配である。今はまだ新しい生活がスタートして1年程度。自分の決断を誇らしく感じているに違いない。ゼロスタート、貧しくとも愛があれば、その気持ちが十分に支えになる。だが、蜜月は必ずしも永遠ではない。敢えてシビアに考えるならば、蜜月にかげりが見えた時、お金の問題は冷酷に家族を分断する可能性がある。会社の経営者であった自分、持ち家もあった自分、仲間とゴルフができた身分、そうした自分を羨望的に回顧し、全財産を失った代償は高かったと後悔の念に苛まれることが、ないとは言えない。この家族の幸せが続くよう心から願う気持ちになった。

悲喜こもごも、だからこそ人生は楽しいのかもしれない。楽しく幸せだけの人生では人の悲しみや苦しみがわからない。この成功は自分の努力によるものであり誰の助けも借りていないと豪語する人がいるが、こうした人は人の苦を知らないままなのかもしれないと感じる。人は人によって支えられているのであり、”独力”は言葉として存在していても、生身の人間関係、生きる営みの中では、決して存在しない意味合いだと思う。

2009年、辛い1年だったと感じている人、及第点を上げてもよしと思える人、満点に近いと感じている人、それら全ての人たちに幸せなことがたくさん起こる2010年でありますように。

2010年まであと7日、チクタク、チクタク。

冬の紅葉HappyLaugh


家の西側。ここはドングリと落ち葉の宝庫。無知の告白になりますが、樹の種類によってドングリも色々な種類があることを初めて知りました。
ここ西側のドングリは茶色で、丸っこくて大きい。デッキに落ちるドングリはそれに比較すると小ぶりで色は焦げ茶色。



南房総は日本列島で最後に紅葉が楽しめる地域だと聞いた事がある。
ここでの紅葉はだいたい12月。冬の紅葉とも。



落ち葉の風景はとても美しく絵になる。

来年もまたたくさんドングリが実りますように。
そして美しい紅葉が目を楽しませてくれますように。
2010年まであと8日。チクタク、チクタクタク。

冬のポカポカ昼寝HappyWinking


気温が低いここ数日。でも太陽には恵まれている。暖かい毛皮に包まれたコマにとっては日光浴日和。お昼をちょっとまわった頃、芝生の上でごろん。可愛い寝姿をパチリ。


近づいて可愛い寝顔をパチリ。気持ちよさそう。

一方、室内に目を向けると、

ポチの頭は座布団からはみ出して落ちている。でも、こちらもぐぅぐぅ、すーすー。
窓から刺す太陽の光を受けて気持ち良さそう。


ウメはダイニングテーブルの横、絨毯の上ですーすー。
美味しいものが落ちてくる夢が見やすい場所なのだろうか()


電気あんかがセットされたドームハウスですやすやは、猫のマイケル。
推定22歳。人間年齢換算すると、後期高齢者どころではないマイケルには、太陽よりも電気あんか、か。ドームハウスの奥深くに入り込んで姿も見えない。


動物の昼寝姿に誘われて人間たちも昼寝の予感(^^).。

来年もこんな風に平和な昼寝ができる一年でありますように。
2010年まであと9日。チクタク、チクタク。

安否確認もデジタル時代WinkingLaughEmbarrassed


パソコン、携帯電話、どちらも現代人になくてはならないアイテムになった。これらがない時代は、電話や手紙で「季節の挨拶」やら「無沙汰解消」を行っていた。一種の「安否確認」とも言える行動だ。でも、今や、メールで全てが済む時代。私も基本的にはPCメールで済ませている。

しかし、その上を行くのがURL・ウェブサイト。私の周囲でもかなり多くの人たちが個人のウェブサイトやブログページを持つようになった。サイトに行き、ブログやサイトが定期的に更新されていることを確認し、それを安否確認としてしまうのである。1週間も2週間も更新がないと、さすがにぎくっとし、メールを送る。すると、「ごめん、ずっと忙しくて更新できなかったのよ」とか、「ごめんね、パソコンを修理に出していてずっと使えない状態だったのよ。ところで元気?」などという返事が来て安堵、になる。

手紙・電話時代と比較すると、確かにサイトをチェックするだけの今は「労力」が不要になった時代に突入しているといえる。電話なら「どうしてるの? 元気でやっているの? たまには会いましょうよ」と。一方の手紙は、謹啓・拝啓、ちょっとくだけても前略、などと始まり、四季に応じた時候の挨拶なども入れ、「皆様にはいっそうご盛栄の段・・・」などと書き、敬具やら草々などで締める。

電話が愛情なら手紙は風情とも。

デジタル時代はドライな関係なのかもしれない。でも、ドライも結構。やはりパソコンや携帯はありがたい存在で、必需品である。「ない」ことが考えられない生活になってしまっている。もちろん電話で肉声を聞く事は大切なことだと思っているけれど。



ところが、パソコンも携帯もどちらも持っていないという友人が、僅かだがいる。もちろんその友達には電話で安否確認をしている。パソコンがダメでもせめて携帯メールでもお願いできればと思う。持つも持たぬも個人の勝手なのだが、来年はそれに応えてくれるかな、どうかな、と思い願う私がいる。

来年、2010年まであと10日。チクタク、音が聞こえる。

大山鳴動してネズミ一匹Foot in MouthHappy


車道と同等の地位を確保された自転車道の整備がなされ、白線を挟み自動車と並んで走る自転車の映像がニュースで流れたデンマークのコペンハーゲン。また、デンマークは全電力中に占める風力発電の割合は20%もあり、世界一である。

国連気候変動枠組み条約締約国会議ことCOP15が開催されたのは、環境問題への取り組みに対し真摯に向き合っている国である。また、今や温室効果ガス排出量世界一となった中国、世界二位のアメリカも参加し、成果にかなりの期待がもたれた。否応無しに期待は高まる。COP15はこのように鳴り物入りで始まった。

そしてその結果としての「コペンハーゲン合意」に関する評価は様々。「絶望的な失敗」と酷評を伝えた環境保護団体、「よかった」とのコメントの鳩山首相、「不十分ながら前例のない合意」とのコメントのオバマ大統領、などなど。

経済的にも進展著しい中国が途上国に根回しをしているのではないかという憶測も流れた。世界に大きな影響力を持ち始めた中国に懸念を示す場面もあったという。

結局、排出削減の義務づけがないままに終わったCOP15。大山鳴動してネズミ一匹、とまでは言わないが、温暖化ストップという方向に向くのは難しい。脱温暖化は夢物語に終わるのだろうか。

このタイミングであったからなのかどうか、衛星放送で『ウォーターワールド』(1995年)という映画をやっていた。温暖化により陸地が完全に水没した未来を描いた映画である。途中から見始めたのだが、なんとなく最後まで見てしまった。決して「キネマの歴史」に残るほどの映画ではないと個人的には思うが、それなりに楽しめた。主演はケビン・コスナー。

陸地が水没した未来は、当然辺り一面が海、海、海。水没後として何世代ぐらい後を描いているのかはわからなかったが、何故かケビン・コスナーは「半魚人」(笑)。見た目はもちろん人間なのだが、耳の後ろにエラ、足の指の間には水かきが!エラ呼吸も可能な彼が海に深く潜り、底に沈んだ都市を見せる場面もあった。誰しもがみんな船に乗って暮らしているが、どこかにあると言われる「ドライランド」、つまり陸地を目指している。

多少はロマンスもあり。船上で恋仲になった女性がいて、その後悪い海賊たちと戦いながらようやく辿り着いた「ドライランド」。陸慣れしていないみんなはまず「陸酔い」(笑)。”普通の人間”ですら陸酔い。エラも水かきもあり、半魚人?と化した彼にとって陸はもはや住む世界ではない。そして二人は惜しみながらも互いに別れを告げる。

来年はCOP16が開催される。新たな枠組み合意が展開されるのかどうか。『ウォーターワールド』のようなSFフィクションは「今」だから「まだ」笑えるのかもしれない。

実話の幸せ物語HappyLaugh


昨日の「オオカミ遠吠え靴下」に続き、アメリカ土産「第二弾」は絵本。
『ローリー物語』は実話であり、ローリーは夫の母親が住む有料老人ホームに、毎週訪問してくる「慰問犬」「癒し犬」。
後にローリーと名付けられるセントバーナード風の迷い犬(捨て犬)が、様々な人々との触れ合いを通じ、最後に素晴らしい里親に巡り会い、慰問犬として皆に愛されるまでの心温まる物語。夫の母親もローリー訪問を心待ちにする一人である。


で、しっかりと、本の著者、イラストレーターのサイン入りでゲット(^O^)/!!!

ストーリーは、
とある牧場主のトムが牧羊と一緒にいる大きな犬を見つける。羊たちとしばらく過ごすが厳冬のネブラスカで外飼いは酷であり、トムはその犬に相応しい里親を見つけてあげるため動物シェルターに連れて行く。
数日後、運良く若いカップル、エミーとスティーブに引き取られる。だが仕事で帰りの遅いカップルは、多く運動量を必要とするその犬に応えられず、長い一日を一匹で過ごす寂しさから低くうめくような声で泣く事もしばしばとなり、狭いアパートのため、近所からクレームも。泣く泣く飼う事を諦めたカップルは犬を動物シェルターに連れ戻す。

再び里親候補を待つ日々。同じシェルター内にいる他の犬たちは次々と里親を得て出て行くのに、その犬はずっと残ったまま。トムも、エミーとスティーブも、みんな優しくしてくれたのに、何故自分だけが愛する人たちと別れなければならないの?とでも訴えているかのように、悲しげな表情を見せる犬。

そうした状況が数週間続いた。だがある日、運命の出会いが訪れる。広大な敷地を持つミッシェルとジョンのカップルがシェルターに現れたのだ。その犬を見た途端、完全に一目惚れした二人。二人がいぶかしんだのは、こんなに素晴らしい犬が何故このように長期間に渡って里親が見つからないままだったのだろうということ。シェルターのマネージャー曰く、セントバーナードであれば本来あるはずの模様がない、これが理由なのだと。二人はそれを一笑に付し、すぐに犬を引き取ることにした。大きな口を開けた感じがウォーとうなっているようにも見え(roar)、そこからローリーと名付けられた。

大きなヤード、大きな納屋、木陰もいっぱい、緑もいっぱい、池もある。そんな恵まれた環境で楽しく暮らす日々が続く。そうした中、「ケンジントン」という有料老人ホーム慰問がローリーの楽しみの一つとなる。

認知症気味の人、視力に問題のある人、色々な老人が住むケンジントン。古くはトム、そしてエミーとスティーブ、そしてミッシェルとジョン。ローリーは人間が大好き。だから、認知症の人が何度も同じ事を繰り返しても気にならない。その人に寄り添い、じっと黙って聞いてあげている。

ある日、ケンジントンで孤独な女性メアリー(イラストの女性)と出会う。ケンジントンに引っ越してきたばかりのメアリー。彼女は誰と話す事もなくただ独りで座ってテレビを見ているだけのような人。でもローリーは構わない。そっとメアリーのそばに座る。するとメアリーがローリーを撫で始めた。話す事を忘れていたようなメアリーだったはずが、ローリーに向かい、結婚、子供、これまで出かけた場所などなど、色々と話し始めた。ローリーがメアリーの心を開いたのだ。

慰問時間が終了し、ローリーが帰る時がくる。ローリーとあまり触れ合えなかった人たちの落胆した表情。でも、また来週になれば、ローリーに会える事を知っているから決して悲しくはなかった。


上記の写真は、ローリーの家族。ミッシェルとジョン。ローリーの横の犬はベイリー。2歳の黄色ラブラドールでメス。

絵本では、ケンジントン慰問の後に、ローリーとベイリーのアドベンチャーものもありなのですが、ここでは割愛します。敷地から脱走した二匹が色々な災難に合いながらも、これまた優しい人に助けられ、飼い主であるミッシェルたちの元に戻るという物語です。ローリーもベイリーも可愛いですね(^^).。


子供に読み聞かせしてあげたい一冊だと思いませんか。大人にも聞かせてあげたいですが。

持つべきは......WinkingLaugh


夫の渡米により1週間ほど「独身生活」。

その間に友達Yさんから差し入れが。写真は「洋風ネギぬた」、とも言える雰囲気。とても美味しかった。和洋中、どの料理にも合う味。メインディッシュの付け合わせに、アペラティフの肴として、お腹がすいた時にそのままもイケました(^^)/.
チキンブイヨンで数分煮たネギをソースにつけ込むのだとか。ソースはオリーブオイルとビネガー、それにマスタードシード、コショウ。是非お試しを。

夫の渡米中、私も東京行きが重なり、Yさんには我が家の犬猫たちのエサやりもお願いすることに。快く引き受けてくださったYさんには本当に感謝である。
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるが、この意味合い程度でははなはだ失礼な気がする。言い換えるなら、「親戚よりも親しい友達」(私の場合、親戚は遠くても近くてもあまり変わらない気が)。且つ、近くにいて親しくしている友達は本当にありがたい存在。
改めて、「Yさん、本当にありがとうございました」。


アメリカのお土産は靴下。オオカミの遠吠え、とても気に入ってます。よく見ると、お子ちゃまサイズ(▼▼#) .

どちらに留学を.......HappyWinking

英語修得に関する理論的考察は言語学や英語学の専門家に任せるとして、私なりの見解を述べてみたい。


言語学習の達成過程の特徴を階段で示してみると、上記の図のように一つの段の長さがかなりあり、地道な長い歩みの末に次のステップが待っている、という図式なのだと思う。


達成過程にはもう一つ特徴があり、ある日突然その成長に気づく、ということ。つまり急に「あれ、理解できている」というような感覚が訪れるということである。
階段の段差があまりないのはそのためであり、いつの間に昇ったのだろうという不思議な感覚なのである。

(イラストがいまいち巧くないため、左の人はかなり足を持ち上げている格好になってしまいました。 汗)

上記の特徴から言えば、牛歩に見えようとなんであろうと、地道に一歩一歩進んで行くことが修得につながるのだと思う。継続は力なり、である。


ところが挫折しし易いのも言語学習の特徴である。挫折者を表すならこんな感じだろうか。上図は一つの段を拡大してみたもの。
一番左の人は、その長〜い一段のゴールをチェック。見渡せども次の段が全く見えない。スタートしたばかりなのにせっかちな人はいますよね。
真ん中の人の場合は、地道な歩みを続けてはいたけれど、なかなか成果を感じられず、肩をがっくり落とし、そろそろギブアップになりそうな感じ。せっかくここまで頑張ったのに止めちゃうのね、という残念な類。
一番右側の人は、たとえて言うなら、週に一度は英会話スクールに行っているのに、どうしてなのぉ、毎日やらなきゃいけないのぉ、そうはいってももう結構長く通っているのにぃ、スクール代、教材費、こんなに使ったのにぃ、と座り込み、涙する(ちと大袈裟か)。


でも、ちょいとちょいと右側の人、座り込んだそのすぐ先に、もしかしたら次の段が待っているかもしれませんよ。残念!



繰り返しになるけれど、カギは止めずに続けることだと思う。このステップの特徴に”慣れ親しむ”ことができれば、そのうち次の段までの距離感もなんとなくわかってくるものである。
修得の段階によってはもちろん山あり谷あり、紆余曲折を余儀なくされることもあるけれど、基本は継続。そして継続のためにモチベーションを維持すること。そうすれば必ずその先には「達成感」が待っているはず。


周囲の人たちから、「留学はアメリカですか、イギリスですか」と聞かれる。何故かオーストラリアやニュージーランドがないのだけれど。英語で話しているのを目撃、夫が英語圏の出身、色々質問のきっかけはある。

答えは常に「ノー」。英文科でもないし、留学でもない。勉強としての英語は学校のみ。帰国子女でもない私は「ペラペラ」とは言えない。

読み書き文法は学校英語でそれなりに十分かなと。でも日本人に欠如していると言われる「会話すること」「聞くこと」、これらはNHKラジオ英会話を活用した。なんといっても安上がりである。テキストは300円ぐらい。カセットテープも販売していたが、そちらは1000円ぐらい(もうちょっと高かったかも)だったのでパス。ラジオはテープに録音すればタダも同然なのでそうすることに。私がラジオ英会話を聞いていた頃、ソニーのウォークマンが流行っていて(古っ!)、競合メーカーも同様のミニカセットを出していた。私はラジオ機能も付いたアイワを購入。カセットテープにNHKラジオ英会話を録音し、電車の中で聞くようにしていた。

はっきりとした名前は覚えていないが、NHKラジオ英語には初級編や中級編があり、ビジネス英語もあった。先の階段よろしく、歩みを続けていたある日、突然に「あれ、聞き取れている」という自分に気づいた。その後もまた地道な歩みを続けていると、初級編は中級編に成り代わり、中級編はビジネス編に移行した。


日本の「英語熱」はまだまだ続いているように感じる。しかも、手を替え品を替えではなく、昔も今も英語上達ハウトゥーものは同じ事を繰り返しているように見える。それでも英語修得ならず、という結果。英語ビジネス界にとっては特に真新しい方法論を取り入れる必要もなく、ずっと同じネタでやり続けることが可能。もちろん、「普遍」という言葉が示すように、何かを修得する際の普遍的な方法を否定はしないし、その意味では英語修得も然りであろう。

しかし、先の「階段」を身を以て知った一人として言いたいのは、継続は力なり、である。止めなければ、達成できる、これに尽きる。そして自分の英語レベルに合った勉強方法であれば(人によっては自分が気持ちよく学べる雰囲気さえあればいいのかもしれないが、個人的にはちょっとダウトな気が)、どのやり方を選ぼうとも問題はないと思う。

暑く甘いスリランカWinkingWinkingLaugh


かなり久しぶりのミルクティー。牛乳で紅茶の葉を煮だすようにつくるから、一般的にはロイヤルミルクティーとも。
最近お気に入りのチェコ製のカップで。

東京に住んでいた頃、コーヒーと紅茶を飲む割合は4対6ぐらい。
紅茶は元々ミルクティー派。それをより加速させたきっかけはスリランカへの旅。
たっぷりのミルク、そしてかなり甘みの強い紅茶。暑い国と甘みの強さは相性が抜群。すんなりと喉に入って行く。

帰国後、同じようにやってみると、甘過ぎてツライ。やはりダメか。
でも、スリランカがきっかけでミルクの量は増えた。増え続けた結果、ミルクで煮出すこのタイプに。ミルクの量は完全にスリランカでのものを超えた。お砂糖はなし。シナモンパウダーをふる。

スリランカで飲んだものとは全く異質のミルクティーになってしまったが、飲むたびに必ず思い出すのはスリランカ。
東京で知り合ったスリランカ人がいて、その人の家に2週間も滞在させてもらった。

明らかにお金持ちの家である。プール付きの”本物”のマンション。一戸建ての豪華なお屋敷、である。
*余談ながら、日本のマンションはアパートメントなり、コンドミニアムの域を出ないはずで、呼称自体に誤りがあると思っている。活字にするときは”分譲アパート”と書くようにしているが、場合によっては”マンション”とせざるを得ないときもあり、少々苦々しい思いになる。
猫の額、ウサギ小屋など、東京などの都会にある日本の狭い家を揶揄する言い方がある一方で、20平米にも満たないようなアパートをワンルームマンションなどと呼ぶのは恥の上塗りのような気がするが、こんなことを思うのは私だけだろうか。
それもあって英語圏の人と英語で話す時には決してマンションとは言わないようにしている。

さて、話を元に戻す。その友達の家には門番がいて、料理人がいて、小間使い?がいる。いわゆる使用人たちだが合計6人位いたように記憶している。

甘くて美味しいミルクティーはいつも料理人が作ってくれた。彼女の名前はラーニー。
「キリ・テ・カ・ゲナ・ワダ」、カタカナ表記ミスがあるかもしれないが、これが「ミルクティーをお願いします」の意味になる。これだけは今も暗記できている。にっこり(^O^).

デジタルカメラがなかった当時はフィルム撮影。いつか時間を作って当時の写真をスキャンし、デジタルデータ保存したいと思う。フィルム時代の写真も、ブログやスライドショーにたくさん登場させたいものです、はい。

失恋回復鍋WinkingHappy


今や誰もが知る「常夜鍋」。
この鍋と初めて出会ったのは20年以上前。
なんと、失恋直後の私を慰めてくれた友達数人がこの鍋を準備してくれた。

確かカップル一組と独身の友達が一人、計3人。私を入れて4人。
そこまでの記憶はあるのに、そのカップルが誰だったかを忘れている。独身の友達が誰であったかはしっかりと覚えているのに。
優しく慰めてもらっている側なのに、失恋という痛手ゆえ、”カップル”というパーツに拒否反応を示し、そのカップルの記憶や残像を根こそぎ取り払おうとしたのだろうか(笑)。

そしてつい先日、久しぶりの「常夜鍋」を別の友達と楽しんだ。この20年の間に1度や2度は食べたように思うが、とにかく10年以上のご無沙汰だったのではないかと思う。

カップルの顔も覚えていないのに、レシピだけはしっかりと覚えている(笑)。
水分は日本酒8割に水2割。そこにニンニクを入れて煮沸させる。
食材は、豚肉ロース、小松菜、シイタケ。最後の締めにうどん。ポン酢に大根おろしをたっぷり入れ、ゆずコショウをお好みで。
ポン酢は私の手作り。ゆずコショウは友達の手作り。市販品では真似のできない美味しいゆずコショウである。

ポン酢に大根おろしという組み合わせは、豚肉をあっさり味に変えてしまう。結構な量があったはずなのに、豚肉ロース完食。ちょっとヤバイかも(汗)。小松菜、シイタケも完食。

20数年前の「失恋回復鍋」。その時のカップルは誰だったのか。その時一緒にいた独身友達に今度聞いてみることに。

これこそ、はまり役HappyWinkingLaugh

色々な役に挑戦し、その役を演じきる、これが俳優の務めなのだが、どの映画を見てもその役柄がピンと来ない、演技が下手なわけではない(時にはそういう俳優もいるが)のに心にしっくり感が届いてこない、こうした俳優がいる。

私にとってはその一人がトム・クルーズである。

『トップガン』『M : i シリーズ』『コラテラル』『バニラ・スカイ』などなど、高い興行収益を誇るトム・クルーズ。ショービジネス界で活躍した人の名が彫られる「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」にも殿堂入りを果たし、揺るぎのない人気を博する俳優ではあるのだが、私には上記のどの映画を見てもトム・クルーズ”らしさ”を感じなかった。

だが反面、俳優にはそれぞれ「適役」なり「はまり役」というものがあるように感じる。
トム・クルーズにとってのそれは、
『マグノリア』だと確信する。
1999年製作、189分という長時間映画。脚本、監督、俳優の演技、どれをとっても素晴らしい作品に仕上がっていると思う。監督はポール・トーマス・アンダーソン。

189分という長い時間をかけて、とある一日、たった一日だけを描いた映画である。一つのテレビ番組を取り巻く数家族、計10数人が織り成す群像劇だ。

(1)人気長寿チビッ子クイズ番組の司会者を長い間努めている中年男性(フィリップ・ベイカー・ホール)とドラッグに溺れるその娘(メローラ・ウォルターズ)との確執。
(2)ひょんなきっかけでその司会者の娘と知り合い恋に落ちる警官(ジョン・C・ライリー)。
(3)子供時代にその番組で子供チャンピオンになり、その名声を利用して職に就いた、今や中年となった男性だが、才能はクイズだけで、仕事では失敗の連続を繰り返し、ボスからクビを宣告され、一方では行きつけのバーのバーテンに恋をするゲイでもある彼(ウイリアム・H・メイシー)。
(4)現在のそのクイズ番組でちびっ子チャンピオンとなった子供と、完全に「ステージパパ」と化したその子の父親。その親子の確執。
(5)そのテレビ番組の制作者であり末期癌の男性(ジェーソン・ロバーズ)。若い頃、病気の妻と幼い息子を捨ててしまったことを悔い、死を目前にした今、その息子に一目会いたいと願い、男性の看護士(フィリップ・シーモア・ホフマン)に依頼する。結婚当時は財産目当てだったが、臨終の床にある夫に今ようやく愛を感じ、過去を悔いる妻(ジュリアン・ムーア)。

そして、その末期癌男性の息子がトム・クルーズ。幼いながらも病に伏せる母親の面倒を見、最期を看取った彼。彼は自分たちを捨てた父親を憎み続けながら大人になる。

大人になった彼が得た職業は「女性ナンパの伝道師」といったことろ。その道ではかなり有名な様子で、ホールを借りてナンパ・セミナーを行う。女性をモノにしたい男性で客席はぎっしりと溢れかえる。

彼がセミナーのステージに登場するシーンを見て、あ、これは、トム・クルーズのはまり役だと直感した。登場の際の音楽は、映画『2001年宇宙の旅』のあの有名なサントラ。そのサントラでジャジャーンと登場する大袈裟加減もいい。そしてスポットライトが少しずつ彼を照らし、ステージに登場した彼が会場に向けて開口一番に叫ぶセリフがなんと、「Respect the “c”, tame the “c”」。ご自身の「C」に両手を添えるようにしながらそのセリフを叫ぶのです(笑)(笑)(笑)。本当に、マジで笑いました。「””」で括った単語はおわかりになりますよね。

ステージの背後にある大きな垂れ幕には、『SEDUCE and DESTROY』が。「誘惑し、ねじ伏せろ」が訳(笑)。

笑える場面も含め、実際はとてもシリアスな気持ちで見る映画。

母と自分を捨てた父親、こうした体験は、捨てた側の性である「男性」に対し嫌悪を抱き、「女性」側に対する同情心、これが通常の心理だが、彼はその真逆とも言えるようなビジネスで成功を収めている。だが、彼の心の奥底に流れる父親への思慕の情、この複雑にねじれた深層心理とも言うべき彼の心情を描くに際しては、却ってこの真逆さが巧みなコントラストとなり、父親への強い愛を紡ぎ出す役目を果たす。

何十年ぶりの父との再会。意識朦朧の父に向き、恨み辛み、罵倒の限りの言葉を吐きつつ、だがそれが次第に揺らいでくる。何故なら彼は父親をずっと愛し続けてきたからだ。罵倒しながらその思いに気づく。そして、積年の願いであった父との再会の喜び、父への愛が嗚咽とともに噴き出してくる。ようやくの再会にもかかわらず、父と過ごす時間はわずか。嗚咽は、この皮肉な運命に対する憤懣の吐露でもあり、もっと早く再会すべきであったという後悔の念、自責の念の現れでもあっただろう。父を罵倒しながら、彼は自分をも罵っていたのだと思う。

この映画は、皆本当に素晴らしい演技で魅了してくれた。どこまでもドジな役を演じるウイリアム・H・メイシー、感情の起伏が激しい役のジュリアン・ムーアも見どころだ。

そして、心優しい看護士の役柄を見事に演じきったフィリップ・シーモア・ホフマンも最高である。主演男優賞オスカーを受賞した『カポーティ』を除けば、どちらかというと、いけ好かない生意気な高校生役、大人になった今でも少々毒舌で辛辣な皮肉屋といった役どころが多い彼。つまり、演技派だということなのだろうが、彼は徹頭徹尾、暖かく柔らかな心を持った看護士だった。

意外なはまり役は、メローラ・ウォルターズ。他のどの映画を見てもただ脇役、ちょい役でしかなく、あまり記憶に残らない彼女だが、この映画では光る演技を見せてくれた。精神的に少々不安定さを感じさせるちょっと危なげな役どころが巧い。ドラッグに溺れる彼女が警官から交際を申し込まれるのも、ヘンだが面白い。

ガラス制作もクリスマスWinkingLaughHappy

まずはお知らせです。
12月4日、「ふぉと逍遥」スライドショーを更新しました。
ご覧下さいね。


12月に入りましたね。師走だ、忙しい、気忙しい、という方も多い事でしょう。
Snail mail 、Smail 型年賀状をやめている私にとってはそれほど気忙しさはありません。ただ、12月ということで、もう今年ももうすぐ終わるのね、と、感傷的にはなりますね。

12月はガラス制作も季節ものが多くなります。特にクリスマスもの。
ソリッドワークでサンタクロースを作りました。季節に反し、かなりの大汗をかきながら作成。

作者は左から、Aさん、石田先生、わたし、です。

エントツのへりにつかまっているような雰囲気を作りたかったらしいAさん。
正面から見ると、こんな感じです(左手前)。


すると、せっかくだから何かにつかまってもらいましょう、と、石田先生が発案。
で、こんなことに。軽トラにぶら下がるサンタさん(笑)。


ちょっとアップで。


向きを変えてパチリ。


真横の姿も。


楽しいサンタづくりの日でしたLaugh

Have no regrets, but..HappyFoot in Mouth

田舎移住組の元東京人は、私の周囲に多く存在する。私たち夫婦の暮らしぶりに影響され、今年移住を決めた友達夫婦もいる。

田舎移住決定前、決まって質問されるのは「後悔」について。周囲の中では田舎移住の最古株に充たる私たち夫婦。答えはいつもこれ、後悔は全くない、である。Have no regrets one minute だと伝える。

後悔はないが、残念、と感じることはある。とても小さなことではあるが、何故?という思いが私を取り巻く。

ブラウンマッシュルームもその一つ。

この10年位で、居住エリアに多くのスーパーマーケットが出店した。店の本拠地が「都市部」にあるからなのかどうか、オープン当時はブラウンマッシュルームも棚に並ぶ。ところがしばらくするとブラウンマッシュルームは棚から消え、ホワイトマッシュルームに切り替わる。ブラウンマッシュルームの方が断然香りもコクもホワイトマッシュルームに勝るのに。

とあるスーパーでは、オープン当時、ロメインレタスがおいてあったが、これもやはり消えた。イタリアントマトも同じ運命に。コリアンダーもまた同様に。

時折、気がついたように上述の食材を見かけることがあるが、「定番食材」として棚に並ぶ保証はない。

バーコード、データがモノを言うを時代である。売れないものは切り捨てられる。市場原理、マーケティングの原理原則と言われればそれまで。

言われるまでもなく、こうした食材は都会的、東京的、であることは理解している。その地域の食生活に合わせた食材が販売されるのは自明。

田舎移住に後悔は全くないけれど、残念という気持ちはこのこと。だがしかし、これもかなり、かなり小さなこと。取るに足らない要素である。