家計に優しい自家製ヨーグルトWinkingLaughWinking

自家製ヨーグルトを作っている人は多いのではないかと思う。カスピ海ヨーグルト、ケフィアヨーグルトなど、様々な種の菌も販売されている。

でも、うちはごく普通の市販のヨーグルトを種にしている。よく使うのは明治の「ブルガリアヨーグルト」。スプーン一杯ほどを種にして、それを専用のヨーグルトメーカーの容器に入れ、牛乳1リットル分を入れて混ぜる。


その代わりといってはなんだが、牛乳には少々こだわりを。瓶牛乳の「かずさ牛乳」を取っており、それを使っている。いくつか試した中で、この牛乳が一番美味しい気がした。


容器に蓋をして、ヨーグルトメーカーにセット。電気のスイッチをオンにし、あとはマシーンにお任せ。7〜8時間置いておくだけ。家で使用しているヨーグルトメーカーは東芝のもの。メーカーの隣にあるのは電動タイマー。以前、セットしたことを忘れてしまったことがあったため、7〜8時間後、セットした時間が過ぎたら「スイッチオフ」になるタイマーを購入した。


写真のように、土手?のようなカタチに食べていくとこれまたすごく美味しい。水分が下の方に落ちて行き、土手の方のヨーグルトは、かなり、かなりもっちり、リッチ、クリーミィ、芳醇、強いまろみ、濃い旨味、あ〜ぁ”、とにかく美味しい!!!。


アップで。言い表すならば、フロマージュブランと生クリームの間ぐらいのコク(うぐっ)。


考えてみると、自家製ヨーグルト歴はもう15年位になる。長いといえば長い、か。またよーく考えてみると、自家製ヨーグルトの方が市販のものよりも割安になる。最初の種ヨーグルトのための投資はあるものの、安いときの牛乳は1リットルパックで150円(時にはもっと安いときもあり)位で買える。そして自家製は1リットルサイズ。市販のものは500mlが一般的。安い時であっても130円や150円位。1リットル分だと260円〜300円。自家製のほぼ2倍の値段である。

うちは2人だけなのにも拘らず、1リットルを1週間以内に平らげる。そして食べているそのヨーグルトからまた種を取り、次のヨーグルトを作っている。今食べているヨーグルトはそれでいうと、6代目か7代目ぐらい。最高で13代ぐらいまではいった記憶。まだまだイケたのだが、たまたまその後ヨーグルトを食べなかった時がちらっとあり、中断しただけだったのだが。

子供のいる家庭や大家族なら、絶対に自家製ヨーグルトはお勧めである。家計にも優しいし、市販品を種に使うのに、市販のものよりも数段美味しいのだから。

以前より優しく、という難問奇問WinkingHappyLaugh

「人に対し、以前よりも思いやりや優しさが持てるようになりました」。色々な人からこうした主旨の言葉を良く聞く。私自身も発する事がある。カッコ内を結果とすれば、その原因となったのは、自身のツライ経験、ツライ経験をしている人に寄り添ってあげた経験、この2種類が多かった。つまり、ツライことを通して優しくなれたということだ。確かにツライ経験は人を優しくしてしまう、そんなパワーがあるかもしれない。

だが、失礼ながら言わせてもらうと、「優しくなった」というはずの人があまり変わらない、というケースにも時々遭遇する。いや、実はこれは時々ではなく、自分も含め多くのケースに当てはまるように思える。

心理学に少々足を突っ込み、人の心と向き合う産業カウンセラーという資格も取得した。また、社会人としてそれなりに経験を積み、人とも多く接してきた。そういう50代の自分を少々高みの位置に置かせてもらって言うならば、「ひと」を見る目はそれなりに持っている(養われつつある)のではないかと感じている。その中で、あくまでも私の感覚の中ではあるが、「優しくなったはず」の人が「変わらない」という事態を垣間みる機会があるということだ。

心理学用語に、「オペラント条件付け」というのがある。簡単に言うと、オペレート、つまり働きかがあり、それによって得られる「喜び」のようなものがあることで、その喜びのために自発的な行動が繰り返される、というようなもの。もう一つ、「独立変数」と「従属変数」という用語もある。独立変数が「原因」、従属変数が「結果」だと考えれば早い。

先の「優しくなれた」人を無理矢理用語に当てはめてみる。ツライ経験は独立変数(原因)、優しくなれた自分は従属変数(結果)。ツライ経験に遭遇していた時の自分、ツライ経験をしている誰かに寄り添ってあげていた時の自分、これらがオペラントとなり、そこを経て培われた何かによって「人に優しくすること」を得、その行動を繰り返すようになる。

この研究にはかなりのインタビューを要するが、勝手な仮説を立てるなら、先の私の経験からは「ノー」であるというケースが「少なくない」と言わざるを得ない。

何故か。これもまた個人的見解ではあるが簡単に述べたい。まず、ツライ経験をした人に寄り添ったケースを考えてみよう。厳しい言い方をするならば、ツライ経験をしている人に「キツく」接する人はかなり極悪非道で、人でなし、ではないだろうか。傷ついている人が近くにいる場合、一般的には優しく手を差し伸べるものだろう。傷つき度合いにもよるし、その人への寄り添い度合いによっては、その後本当に優しくなった人もいることだろう。だが、この寄り添った経験が必ずしも「以前より優しく」ということを導くものではない気がする。

次に自分がツライ経験をした場合を考える。ツライ経験は確かに人を成長させる。だが、その成長は人への接し方にも表れるはず、という自信が湧くのではないだろうか。だが、何かに関して成長したことと、前よりも人に優しく接することができるという、この因果関係を保証するものは、意外に何も無い気がする。また、ツライ経験の多くは「人」が介在する。そしてそのツライ経験から脱却した時、自分にツライことを与えた人をもなんとなく許していたり、心理的に良い距離を置けるようにもなっている。だから、ツライ思いをさせられた「あんな人」でも許せたんだから、色々な人に優しくできないわけはない、と思ってしまう一面の心理はあるように思う。しかしこれは「喉元過ぎれば・・・」の世界かもしれない。次にツライ経験が襲ってきた時、また同様のすったもんだをやってしまう、これまた人間ではないだろうか。もちろん、以前の苦い体験を活かし、少しは上手に対処できるようになっているかもしれないが。

2つのケースを通じて感じるのは、人間は感傷的な動物であり、自己愛が強いこと、これらの要素が「以前よりも優しくなった」と確信させるのではないかということだ。これまた大きな仮説ではあるが、これらの要素が強い人(独立変数)ほど、ツライ経験の前後における「優しさ」変化がない(従属変数)、と感じる。

以前よりも優しくなった、ということはとても素晴らしい話である。ただ、それを誰か第三者が異口同音に語る事実があれば、その人は本当に「優しくなった」と言えるのではないだろうか。

バスタブでの愛WinkingHappyLaugh

第82回アカデミー賞が近づいてきている。授賞式は3月8日。ひとあし先に開催されたベルリン映画祭では、寺島しのぶが女優賞を受賞した。日本映画、頑張れ!

アカデミー賞は政治色が濃いとか、本物の映画賞はゴールデングローブ賞だ、という論議はもっともではあるが、WOWOWで生放送されるアカデミー賞は、やはり華やかで見ていて楽しい。

アカデミー賞受賞作の映画でお勧めをひとつ。アンソニー・ミンゲラ監督、1996年の
『イングリッシュ・ペイシェント』。出演は、レイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシュ、クリスティン・スコット・トーマス。ミンゲラは作品賞、監督賞、2つのオスカーを手にした。看護士役で素晴らしい演技を披露してくれたジュリエット・ビノシュは納得の助演女優賞を獲得。ノミネートはされたが、主演女優賞の栄冠獲得とならなかったクリスティン・スコット・トーマス。主演女優賞獲得が『ファーゴ』のフランシス・マクドーマンドと聞けば納得せざるを得ないのだが。夫ではない男性を好きになり、愛し始め、一線を越えるまで、この感情の変化と流れをクリスティン・スコット・トーマスはとても巧く演じている。

アンソニー・ミンゲラ監督といえば、比較的最近の映画で、2006年の
『こわれゆく世界の中で』がある。アカデミー賞には全く縁がなかったこの映画だが、個人的には好きである。出演はジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ、ロビン・ライト・ペン。この映画も『イングリッシュ・ペイシェント』も、どちらも不倫を扱っている映画だが、ミンゲラが好きなテーマなのだろうか(笑)。

もう一つ、この両者に共通することがある。それは、不倫の二人が愛を交わす場所としてバスタブが登場すること。バスタブでは激しいラブシーンが展開されるのではなく、語らいの場なのだが。語らいとはいえどラブシーンではあるから、だっこちゃんスタイル(^^).。これまたミンゲラが好きなラブシーンの姿なのかもしれない(笑)。

愛し合っているはずなのに、空回りしてしまうカップルにジュード・ロウとロビン・ライト・ペン。ボスニアの英雄であった夫をなくし未亡人となり、息子とともにイギリスに亡命してきた役にジュリエット・ビノシュ。ふとしたきっかけでジュード・ロウとジュリエット・ビノシュは知り合い、そして深い関係になっていく。新しい愛の可能性を感じ始めるロウ。ロウと同様に、新しい愛に心をゆだねようとしながらも、とある事実からロウを疑い始めるビノシュは両者の葛藤に苦しむ。哀しさと愛しさ、その狭間にいる人々の心を描いた秀作である。

「障碍」使用のすゝめHappyAngrySad

且つては漢字表記だったものがひらがな表記に切り替わっている。そんな文字を新聞記事で見かけるようになった。最近の例でいうと、「障がい」。元は「障害」。「害」の意味があまりにもイメージが悪すぎて、障害者と表記するのは取りやめにしたのだろうか。

確かに「害」は悪い意味しかない。だが、私の中では障害は「障碍」である。心理学の教授が「碍」を使用していた。川の流れの途中に岩があり、それが流れを妨げているのだと。障碍者の人たちはたとえていばその岩を持っているのであり、岩を持たない川とは違った流れになるだけであると。岩のある川を想像してみればわかるように、とても美しい表情を醸し出す川になっていることは間違いない。つまり、個性なのであり、そこに「害」はないのだと。素晴らしい考え方だと感心したものである。

ネット検索をしてみると、障害の害をひらがな表記にした自治体は結構あるようだ。朝日新聞だけではない様子である。だが、その朝日新聞の夕刊の特集に漢字をテーマにしたシリーズがあって、『「碍」の字で社会は変わる』という記事が載っていた。記事によると、「障害」が使われた背景には国の漢字政策があったようだ。敗戦後、膨大な漢字に手を取られていては国の発展は望めないということで、使用を制限した当用漢字表(1850字)ができ、1981年にはその制限を緩めた常用漢字表(1945字)が登場したが、この間にも「害」と「碍」の吟味はなされないままで「障害者」がずっと使用されてきたそうだ。つまり、戦後の発展との引き換えに犠牲となったということだろうか。

だが、吟味をやめ、いきなり削除、ひらがなへ、というのもなんだかいただけない話である。この特集記事に賛同するのなら、よその真似をするのではなく、朝日新聞は率先して「障碍者」を使えばいいのにと感じる。politically correct にしようというものなのか、言葉狩りに屈したのか、残念な気がする。

精神分裂病は統合失調症へ、痴呆症は認知症へ、切り替わった。同様に障害者も障碍者にはできないのだろうか。重箱の隅をつつくなら、「障」という字も「害」に負けず劣らずの悪い意味を持つ。辞書で調べても、邪魔になる、邪魔をする、ふさぐ、妨げをする、など。そうなるといずれは「しょうがい」になるのだろうか。

漢字の文化にもうちょっと誇りを持ち、誤りを正しながらも相応しいものを見つけて行くことが大切な歩みだと思うのは私だけだろうか。以前に読んだ、ある著名な(英語圏の)言語学者のコメントを思い出す。「デモクラシー(democracy)に民主主義という漢字を充当した日本は素晴らしい漢字文化を持っている。英語ではこの一つの単語に意味を持たせなければならないが、民主主義は複数の漢字でその意味を表そうとする。”民”が”主”であることを”主義”とする、これがデモクラシーなのだと改めて気づかされるし、そうあらねばならないと強く感じさせてくれる」

先の教授のように、川の流れにある岩、つまり「碍」のある美しい表情を表す川、これではいけないのだろうか。

No Man's LandHappyWinkingLaugh

南麻布のフランス大使館旧庁舎で創作アート展『No Man’s Land』が開催されているという情報を知人が教えてくれた。旧庁舎が取り壊しになる前に、最後のメタモルフォーズ、つまり最後の変身・変貌とでもいうのだろうか、フランス人、日本人を問わず、屈指のアーティストたちに庁舎の立体空間を提供したというものらしい。

フランス大使館は東京に住んでいた頃、仕事で何度か訪れたことがある。アーティストたちが”変身”させたせいか、記憶に残る大使館の面影はなかった。だが、なかなかユニークなアイディアに溢れたアート展になっていて結構楽しめた。面白いと思った展示をいくつか紹介したい。ちなみに『No Man’s Land』は2月18日まで。


入り口


入り口を抜けた通り。壁にも。


バスケットボール模様のペーパーが丸まってそこらじゅうに。子供がそれをシュート!


魑魅魍魎。なんだかキモイような可愛いような。


薄いオーガンジーのような生地に映し出される映像。ハイヒールをはいた足と女性が登場。女性はハイヒールを舐め始め、舐め尽くしたかと思うと今度は足ごと食べてしまう。映像の下には何故か壊れた白の陶磁器が散らばっている。


片方の部屋からスチールの棒が突き出ていて、その隣の部屋に突き抜けている、というアート。


私の手をかざして影絵をパチリ。


廃墟となった大使館を想定したものらしく、粘度で作られたものはカビか何かを描いているのだろうか。


結構おどろおどろしい雰囲気のイラスト。でもこれがすごく気に入っている。


木造の小屋?が出没。音楽も流れていた???

吹きガラス販売WinkingWinkingLaugh

2月14日(日)、「キッズスクール・インターナショナル」が主催するバレンタインバザーに「生活のがらす」も出店します! お時間がありましたら是非遊びにきてください。

バザーでは、生活雑貨、衣類、子供服、おもちゃ、手作りクッキー、ケーキなど色々な目玉商品が安価で出品されます。かなりお買い得です。がらす作品も値段交渉に応じます(汗)(涙)(^^)/.。

手前味噌ですがWinkingLaughHappy


20083月に仕込んだ自家製味噌。9リットルの味噌瓶を開けてみた。表面にカビはなく、美しい褐色が姿を現す(渕に見えるのは乾いて付着した新聞)。褐色の主は昆布。味噌作りには欠かせない昆布。ネットなどで見る一般のレシピでは、表面をビニールで覆うらしい。だが実家では昆布と決まっている。ちょうど今頃が味噌作りの”旬”。「みそ用」と書かれたみそ蓋昆布が売られている。サイズも大きめ。だがこちらで見かけたことはない。なので、通常よく見かける細いタイプの昆布を何枚も並べて蓋にする。


昆布を開けてみた。味噌の表面も奇麗で、こちらもカビはない。写真上は蓋にしてあった昆布。味噌の香りで包まれた昆布は、刻んでそのまま熱々のご飯のお供に。自家製佃煮のようなもの。


しゃもじで返すと、昆布があたっていた面とそうでない面との色の違いが歴然。昆布面は出汁が入ったかのように旨味と甘みが強い。昆布があたっていなかったところも、実はめちゃくちゃ甘い。その秘密は麹の量。味噌のレシピは実家に代々伝わるもの。ネット検索した一般のレシピと比較すると2倍もの量。だから甘みと旨味が強いのだそうだ。祖母はよく「出汁要らず味噌」と言っていたそうだ。出汁とりが面倒くさい時、あるいは時間がない時はそのまま味噌を使っていたらしい。実家に伝わる味噌づくり。私もそれを継承しようと思い、13年ほど前から作り続けている。


普段使い用を小さめの容器に取り分ける。友達へのお裾分け分も少々取り分ける。プラス、ちょっと色々。。。


お裾分け味噌のパッケージ用にこんなラベルも作成(^^)/.


残った味噌は、また瓶に戻す。取り分け前の9リットルサイズから5リットルぐらいの瓶に切り替えて。表面をアルコールで拭いておく。こうすれば、次に開けた際、カビのない奇麗な表面が現れる。


瓶に木の蓋を乗せて、その上に陶器の瓶蓋を乗せる。


自家製味噌、とくるのなら、やはりフキミソでしょう。家の外にはたくさん蕗の薹が。


フキミソの出来上がり。ちょいと指で。うふ。

「手前味噌」とはよく言ったものである。自慢話の冒頭に付ける事がある。やはり自分が作った味噌が一番美味しくて素晴らしい。だから「手前味噌なんですけど」と言ってしまうのであろう。自家製味噌作りの経験により、「手前味噌」の語源由来を、肌や心で感じることができた気がする。

やっぱりMac好きWinkingLaughLaugh

最近、あらためて感じることのひとつに、やっぱりパソコンはMacがいい、ということ。稀にWindowsを使うことがあるが、イライラが募ってくる。不慣れであることは認めるが、苛つきの理由はそれだけではない。Windowsの使い勝手の悪さ、意味なく複雑にしているかのような仕組み、などなど。

9割以上?と言われるWindowsのシェアから考えれば、Mac派の私のボヤキは負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれないが。うん、そう思われてもいいかな。

でも負け犬の遠吠えだけでもないらしい。
「あんたの言っていることはすごく正しいけど、あんたなんか死んじまえ」。
少々過激だが、子供の喧嘩の言い回しにも聞こえる(笑)。元は英語。聞いたところによると、セリフを吐いているのはWindows派。システム面でも使い勝手でも、Macの言い分なりやり方はいちいち正しい。ことあるごとにMacユーザーは、Windowsの落ち度をWindowsユーザーに指摘する。Windowsユーザーもそれがよーくわかっている。だが、わかってはいてもそれを認めたくはないし、何せ悔しい。したり顔で説教を足れるMac派は、Windows派にとっては鼻持ちならないイヤな存在なのである。そこで先のセリフが出るのだと。確かにこういう手合いは、日常の生活では友達になりたくない存在ではある(笑)。このことを聞いて以来、私もなるべくWindows批判は控えめにしている。

そう言いながらも、Macが好きなちょっとした理由をここに(笑)。スクリーンセーバーがスタートする時、フォトライブラリーから色々な写真を抜粋し、モザイクに。ズームインとズームアウトで、次々と写真が浮かび上がってくる。次はどの写真がくるかな、と、ワクワクしてしまい、仕事もせずに見入ってしまう。











価格が高いことで避ける人もいたMac。だが最近ではかなり手頃な値段になってきている。10万円を切る値段でノート型も買えると聞いた。

Windows派の方、この機会にMacに切り替えてみたらいかがでしょうか。あ、しつこい、ですか? すみません。もう言わないようにいたします(^^).。

スライドショー更新!LaughWinkingLaugh

お知らせは2つあります。

一つ目。
「ふぉと逍遥」のスライドショーを更新しました。

二つ目。
明日の2月7日(日)から28日(日)まで、ステンドグラス作家、パーソンズ伊都江さんの個展が開催されます。
午前10時〜午後5時(*最終日は午後3時まで)
水曜定休



今回のテーマは「花のランプ」。
場所は長生郡睦沢町の「ぎゃらりー801」です。
毎週日曜日は、パーソンズ氏自身も在廊し接客にあたります。是非、この機会に作家さんの人となりにも触れてみてください。

パーソンズ伊都江ウェブサイト:
http://www.itoeparsons.com

ぎゃらりー801ウェブサイト:
http://homepage3.nifty.com/gallery801/index.htm

にんにく注意報HappyWinkingSad


大好きなニンニク。いわゆる「アリオーリオ・ペペロンチーノパスタ」のニンニクは、うちではこのように粒のままを巣揚げして使う。きつね色になるまで揚げるため、ニンニクの強い臭気はそれほどない。中はほくほくで、じゃがいものような味わい。

ただ、皮むきが面倒くさいだけ。なーんて思っていたある日、スーパーマーケットでむきニンニクが真空パックで販売されているのを見っける。ヤッター! 多少割高にはなるが、手間を考えたら安いもの。して、数パック買い込むのであった。

ニンニクとオリーブオイルの香りを楽しみながらクッキング。ところが、食べる段になったとき、あれ、いつもよりニンニクが多かったということに気づく。でもそれほど差はないかなと、夫も私もパクパクいただく。

そして翌日。朝起き抜けの脳が真っ先に働いたのは「臭気」。それはニンニクの臭い。口元にあたるシーツの部分にニンニクの臭いがツーンAngry。そしてニンニクの臭いのトイレに気付く。つまり、排泄物もニンニク臭、ということFoot in Mouth

封を切っていれるだけという楽ちんさで感覚が麻痺してしまったのか、フライパン投入量は明らかに「かなり多かった」ということだ。大好きなニンニクもここまでくるとさすがにイヤな臭いになる。「香り」が「臭気」に変わるようなもの。シーツはさっそく洗った。これからは気をつけなければ(反省)。

誰に似た?HappyHappyWinking

先日、友達と旧交を温めた。四方山話も一つ区切りがついた頃、なんとなく私たち共通の知人夫婦の話題に切り替わった。夫婦には男の子供が二人いる。子供達にも何度かあったことがある。確か10代だった。

今や子供達は二人とも30代。時の流れに驚く間もなく、友達が「上の子が離婚したらしいわよ」と。その言葉を聞いた途端、様々な記憶がフラッシュバックした。そういえばその夫婦はある種の仮面夫婦だった。仲が悪いというわけではないけれど、それほど一体感はない雰囲気だ。子供達に初めて会った時、下の子はまだ高校生ぐらい。多感なその時期、両親の関係をどのように捉えているだろうかと、他人事ながら心配したことがある。上の子は明るく快活な印象だった。会社員に成り立ての頃だったと記憶している。交際している恋人にも会ったことがある。学生時代から交際が始まったと聞いた。その後結婚に至り、今回の「離婚」となったということになる。

途中途中のつまみ食いのようにしか様子を知らない子供達ではある。だが、離婚という大きな出来事があると、ふと、その因果関係を両親に持って行きたくなるのは人の心理というもの。明るく朗らか、交際期間から数えれば20年弱の愛を育んでいた兄は、どちらかというとお母さん寄りだろうと考えられた。父親は不在がちで、且つ女性出入りが激しいという噂。母親への同情が勝っただろうと思われる子供の頃の生活。父よりも母への愛。だが所詮機能不全の家族。だからこそ自分たちだけは”一体感”のある、”愛”のある夫婦でいようという、両親を反面教師とする決意。だが、兄は愛を継続できなかった。そして今、別の女性と交際していると聞く。ここでも大衆心理としては、兄は父親に似たのかもしれないと単純に前言撤回をする(笑)。

一方の弟。こちらも長年交際する恋人がいるらしい。兄の離婚劇も加えてまたまた心理推理。もしかしたら弟の方が、”一体感”のある家庭、”愛”のある家庭を築くタイプかもしれないと。だからこそ慎重なのだと。

兄は考えてみれば早い結婚。学生時代からの付き合い、そのまま結婚、は、今の時代の間尺に合わないのかもしれない。若い時代は色々な人と接し、恋に傷つき、別れ、そしてまた新しい愛との出会い、そうしたことの結果、添い遂げられる相手が見つかるのだろうと思う。別言するならば、その方が「より良い」とも。もちろん、吟味の上での結婚が離婚に至ることもあるだろう。だが、学生時代からそのまま、という場合よりも、断然人間形成ができていると個人的には判断する。

兄弟。どちらが父親に似て、どちらが母親に似て、という話。心理的要素はあるものの、どちらかというと単に人の話の種となり、酒の肴となるだけかもしれない。

春の香りWinkingHappyLaugh


西側の敷地に蕗の薹が出ていた。既にかなり開ききったものもあり、早いものは先週には実(花?)をつけていたに違いない。盛りを過ぎた蕗の薹は苦みが強く食用には向かない。「薹が立つ」とはよく言ったもの。


東京の某有名レストラン。ランチをいただいた。以前食べたディナーはよかったけど、ランチにはいまいち感が残った。正直言って美味しくないと思えるものも。そしてコーヒーが5種類のお砂糖とともに運ばれてきた。左の黒糖は溶けないからつまんで食べ、コーヒーと交互にどうぞ、と店のスタッフ。お砂糖をここまでこだわって使う、という割にはコーヒーはいまいちで薄く、あまり美味しいとは思えなかった。

三ツ星レストランがひしめき合う東京。世界各国の料理が楽しめる東京。一番美味しいイタリアンやフレンチなら、今やどこでもない、それは東京であると声高らかに伝える雑誌記事を読んだことがある。ベストCuisine は東京。でも本当にそうだろうか。

私が住む町には特上に美味しいイタめし、フレンチがあるとは言わない。でもそこそこ、悪くないと思える「洋食」の店はある。体裁が今ひとつであったり、常識として出して欲しい食材が無い、という場合もある。東京のレストランほどに複雑で細かな工夫、ということもあまり求められない。でも、それでもなかなか面白い味付けをしていたり、三ツ星顔負けの(ように感じられる)深い味を出しているメニューもあり、素材がしっかりと活かされているシンプルなディッシュにも巡り会う。

今後も「美味しいもの」を東京で味わい続けて行くことは間違いないと思う。でも、東京で”複雑”な味わいをした後は、”シンプル”なのに深い味わいのものが食べたくなる。今回はふき味噌がぴったりくる。