スライドショー更新WinkingLaughHappy


ふぉと逍遥スライドショーを更新しました。梅の花が咲きました。我が家の敷地に梅の木は4本か5本。日当りが異なることや種類の違いで、まだまだ小さなつぼみの木もあります。今回のスライドショーにももちろん梅の花が入っています。その他、散歩の風景、久しぶりにお湿りをいただいた雨の翌朝のデッキ、我が家の敷地の山の上の方、といったところです。お楽しみください。


早春の肥料やりです。先の尖ったタイプのスコップに乗っかり、体重をかけて地面にぐいぐいっと。スコップを前後、時には左右に動かし、隙間に肥料を入れ込みます。果汁たっぷりの美味しさを与えてくれた清見みかんを始め、植えた他の木々にも”エサ”をたっぷり。また今年も育って欲しいですからね。どうぞよろしくお願いします、と合掌する気持ちに。月並みな表現ですが、自然に触れることの喜びを感じます。”実り”の有り難さを実感できるのも、こうした場所に住んでいるからです。都会にいてはわからないですよね。


告白その1:戦うなら正々堂々とやります。
ヘンな告白です。先月の寒い日、家で見つけたゴキブリをわざわざ外に連れ出し、太陽のあたる場所に”逃がし”ました。暖房の効いていないパントリーで見つけたように記憶しています。あっ、ゴキブリだ、と、すぐにハエ叩きを手に。でも、敵はあまりの寒さで動きが鈍く、叩いて始末することになんとなく躊躇が。サササッと俊敏に動いてくれたら”叩きがい”もあったのですが、これはフェアではないと思った私がいました(笑)。いったんは外にポイッと。でもそこは日が当たらない場所。パントリーにいたときよりも動きが鈍いぞ、と思った途端、なんだか気の毒になってしまい、外に連れ出し、太陽の当たる暖かい場所(写真)に置いてきたのです。その後の消息は不明です。正々堂々と、な〜んて、単に自己満足、後ろめたさからの逃れ、そんな程度に過ぎない行いですよね(笑)。

告白その2:松尾芭蕉を気取ったことにして下さい(汗)。
「手鼻かむ音さへ梅の盛りかな」。芭蕉の句です。肥料やりのために山のてっぺんまで。寒い中での作業は、どうしても鼻水が。。。ところが作業服のポケットにあるはずのティッシュが無い(汗)。差し障りの無い程度に軽く息をしながらいたのですが、だんだん”量”が多くなってきてしまい、もうごまかしがきかないぐらいに(恥)(汗)。下まで降りてティッシュを取りに行くのも面倒くさいという距離にいて、うーん、どーしましょう、困ったわぁー、に。言わずもがな、ですが、この句の通りのことをしてしまいました(恥)。お食事中の皆さんすみませーん。

「世界デビュー」させるようなことではありませんが、でもどうしてもブログに書きたくなったのです(笑)。こうして下界に降りてパソコンに向かって書き始めると、あの行為はとても気恥ずかしく顔を覆いたくなるぐらいなのですが、あの山では違和感のない自然な行為に映ったのです。芭蕉の句のように、山の上にはちょうど梅の花も咲いていて、鼻がすっきりしたおかげで香りがきちんと感じられました(笑)。

今の時代、下界では合わない行為ですが、これもTPOなのでしょうか。外界から閉ざされた山の空間に独りで野良仕事、という設定が、卑近だと疎まれる下界での行為を高尚で風流な世界に誘ってくれたように思います(^^).。最初は躊躇がありましたが、やり終えた瞬間に開放感と爽快感があったのは今も不思議な気持ちです。違和感と罪悪感をそれほど感じなかった理由でしょうか。しかし、しかし、ものすごい初体験を告白してしまいましたよね。大変失礼いたしました(笑)。今後はティッシュを確認してから山に登ることにします。


初体験と言えば、先日初めて天然酵母を使ってみました。ホシノ天然酵母です。夜から朝まで15時間ぐらい室温に置いていたら、朝、こーんなに膨れ上がってました。いつも使うドライイーストと違い、なんだか粘着力がすごい。ラップにべちょーっとくっつき、上手くはがれませんでした。


クープもカタチも今ひとつといった感じのフランスパン(汗)。でも味はめちゃくちゃ美味しかったです!ドライイーストの時よりも数段美味しい気がしました。パンに関しては”辛口のご意見番”である夫もかなり満足の様子。ガツガツ食べ状態でした。これは初回の写真ですが、この後もまた挑戦しました。カタチはもうちょっとマシに(^o^).。美味しければドライイーストでも天然酵母でもオーケーという私ですが、天然酵母のチカラ、ちょっと惹かれ始めました。サワードタイプではないホシノ天然酵母は、酸っぱい感じがありませんのでどなたにも好まれると思います。皆さんも是非お試しを。


こちらもある意味初体験。先日のこと。午後4時ちょっと前。フクロウさんに出会いました。夜行性なのでこんなに明るいときに出くわす事は稀です。少しずつ近寄り急いでシャッターを切りました。でもピント合わせに苦戦。あまり近づくと飛んで行ってしまいますし。そして数枚撮りましたが、この写真が一番マシ(悲)。野生動物の撮影の難しさを痛感です。でも、この稀な偶然の出会いはしっかりと目で楽しみましたのでよしとします。

善人にも悪人にもなる闇HappySadWinking

暗闇で人のぬくもりを感じられるかどうか。それは「条件」によって大きく異なる。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、DID)は、ドイツの哲学者アンドレアス・ハイネッケが考案したエンターティンメント。照度ゼロの暗闇が会場。普段は”弱者”とされる視覚障碍者が健常者のガイドとなって暗闇を歩く。暗闇が教えてくれるのは、”見えていた時”の地位も名誉も全く力を発揮しない、ということ。そして、その”肩書き”を手放さなくてはならなくなった時、人は不安になり、孤立した気持ちになる。そして、これまで”弱者”と考えていた障碍者に助けられていることにより、人に対する優しさが生まれる。途中、ガイドに支えられながら歩く別の健常者にも会う。初対面の健常者との対話は、”光の中”で話す時よりも楽しく話せるという。

暗闇で奪われる視覚と入れ替わるように起動し研ぎすまされてくるのは聴覚や嗅覚。この独特の世界は、人を”本来的な姿に戻す”役割を担っているという。DIDの日本法人もできた。
NPO法人「ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン」だ。参加は個人、法人企業研修の両方が準備されている。

DIDは、”暖かい人たちに支えられる”ことが”条件”となっている。だがその前提条件が崩れたらどうなるのだろう。視覚ではないが、2009年にメキシコで発生し死亡者まで出た「豚インフルエンザ」。この感染により、世界的流行やその危機レベルを表す「パンデミック」や「フェーズ」という言葉が初めて日本に登場し定着したように記憶している。ニュースでは感染者滞在ホテルの封鎖、患者の隔離が映し出される。”初体験の言葉”がもつ恐ろしい素顔に戦慄を覚えた人々は多かったはずだ。世界を包み込む恐怖。未然に防ごうと各国が躍起になり、緊張と物々しい雰囲気に包まれた。日本も同様で、来る日も来る日も「まだ日本では感染が確認されていません」というニュース報道で国民に安心を与えていたが、努力も虚しく、メキシコから数ヶ月後、6歳の男児に感染が見つかる。豚インフルエンザはその後耳にすることはなくなったが、最近では野鳥が運ぶとされる鳥インフルエンザ、牛の口蹄疫などが取り沙汰されている。防いでも防いでも、次々と姿を変え、闇から忍び寄ってくるウィルスやバクテリアは人間には見えない世界。常に「次」の恐怖に晒される人間界。


映画『ブラインドネス』2008年は、感染力の強い奇病により突然視力を失う人たちが続出するパニックムービー。暗闇ではなく、真っ白な闇に包まれてしまう。原因不明の奇病を恐れ、患者たちは”健常者”からかなり離れた収容所に隔離される。食糧と医薬品だけは定期的に届けられる。そこから出ることは許されない。収容所は銃を持ち構えた兵士たちに24時間監視されている。


収容所では、いわば極限状態における人間の理性と狂気が交錯する。DIDとは異なり、”誰もが良い人”とは限らない。増大する感染者に対し、食糧や医薬品の配給が追いつかなくなる。そこに悪が生まれる。食糧その他全ての実権を握ろうとする一人が銃を手に「自分は王である」と名乗る。利益を得たい者たちは次々と”王”に付く。収容所は王側と奴隷側に分けられる。食糧は金品と引き換えになる。王側の要望は徐々にエスカレートし、「物品」だけでは済まされなくなる。金品の品定めをするのは元々目が見えない視覚障碍者。DIDとは異なり、こちらでは視覚障碍者が悪巧みの一助を担っている。

『ブラインドネス』は、カンヌ国際映画祭のオープニングを飾り、コンペ部門にも出品された作品だ。主演はジュリアン・ムーア、マーク・ラファロ。日本からは木村佳乃と伊勢谷友介も夫婦役で出演している。楽しい映画ではないが、それなりに観る価値はあると思う。是非、レンタル屋へ。

”暗闇は人を本来的な姿に戻す”というDIDは、”良い人間”になるためのエンターティンメント。一方、”闇は人を狂気へ誘う”ことを示唆した映画『ブラインドネス』。”悪い人間”になった理由は食糧配給の不十分さだった。だが、食糧が充分だったなら、収容所内の秩序はずっと保たれていただろうか。世界中の人々の目が突然見えなくなったら、次の一歩はどう踏み出せばいいのだろう。

18世紀〜19世紀の全盲の学者、塙保己一(はなわ・ほきいち)。講義中に燭台の灯が突風で吹き消され、門人たちがざわざわと慌てふためくのを感じた彼は、「さても目明きとは不自由なものじゃな」と言ったそうだ。

”親”があって子は育ったHappyWinkingLaugh

子供の輝かしい未来を規定するものは何だろうか。恵まれた環境か子の資質か。恵まれるとは経済的か精神的か。両者のバランスは。そこに資質はどうかかわっていくのか。

テレビをつけ、放送中の衛星放送映画を何気なく見始める。初めて見る映画の場合、苦難に満ちた幼少時代を描いているのを見ると、見続けるかどうかに迷いが生じる。大人はともかく、子供の未来が気になるからだ。実話に基づくものかどうか、また描き方にもよるが、悲惨な結末はやはり後味が悪い。”今日の気分ではない”、という時もある。


『ディア マイ ファーザー』2007年。日本では劇場未公開のオーストラリア映画。1960年代にドイツからオーストラリアに移住してきた家族の物語。家族3人で助け合って暮らすはずがそこに夫婦の亀裂が生じる。破綻した夫婦の子供レイモンド。映画は彼の視点で描かれる。父親の親友の弟と同居し不倫関係を続ける母。不倫相手との間にできた乳飲み子を育てることもしない母親。泣きじゃくる乳飲み子をあやすのはレイモンド。母は精神も病んでいる。その不倫関係はおぞましく悲惨なカタチで終焉を迎える。そして今度は父親も精神に異常を来す。


ネタバレは避けたいが、暗い映画なので、レイモンドの行く末は明るいということだけは伝えておきたい。写真の男性、レイモンド・ガイタはその後哲学者となり、著名な作家にもなった実在の人物。これは彼の自伝的映画だ。

機能不全に陥った大人たちの関係をつぶさに見続けてきた少年が哲学者になる。幼少時の環境をものともせず、非行にも走らず。いや、人間の性(サガ)や業(ゴウ)、そこに生まれる膿(ウミ)や灰汁(アク)を見てきたからこそ哲学の道に入ったのだ、という声もあろう。幼少期の辛苦を引きずらずに済んだレイモンド。それを可能にした最大の理由は、父の愛だったのだろうか。


2010年のアカデミー賞で主演女優賞に輝いたサンドラ・ブロック。オスカーを勝ち取ったブロックの主演映画がこの『しあわせの隠れ場所』。こちらも実話に基づく物語。2004年の出来事なのでホヤホヤ。ホームレス同然の生活からアメリカン・フットボールのプロ選手になった黒人少年のサクセスストーリー。

テネシー州メンフィス。その中でも特に貧しい地域で生まれた黒人少年マイケル。ドラッグ中毒の母親とはそれが理由で何度も引き離され、転校も余儀なくされ、里親も転々とさせられる。引受先の里親では厄介者扱いを受け続け、結果、ホームレス同然となる。


一方、メンフィスの高級住宅地に住み、外食チェーン店のオーナーである白人一家、テューイ家。寒い夜、半袖のティシャツに半ズボンをはいて夜道を歩くマイケルに出会う。一家のボスは母親のリー・アン。鼻っ柱が強く、情にもろく、肝っ玉母さんそのもの。生まれて初めて自分の部屋を持っただけでなく、今まで「ベッドに寝た事がない」ことを告げられ、驚愕の事実に愕然とするリー・アン。高ぶる気持ちを抑えるかのように椅子に腰掛ける彼女。不条理な世の中に対してなのか、恵まれた環境で何不自由無く暮らしている自分の無知さ加減に対する憤りなのか、嗚咽ともため息ともつかぬ何かがリー・アンから漏れる。

映画の中で『はなのすきなうし』という絵本が出てくる。リー・アンの実子たちが子供の頃に読み聞かせしてもらった絵本。スペインの牧場で暮らす牛のフェルジナンド。他の牛たちは闘牛場で闘う事を夢見ているが、フェルジナンドは穏やかな性格で花が大好きだ。リー・アンはマイケルの中にフェルジナンドを見いだした。ドラッグ中毒の実母に求めることは不可能だった「読み聞かせ」。その年齢には少々年齢が過ぎている現在のマイケル。そしてベッドタイム。リー・アンは彼にその本を読み聞かせる。

通常、劣悪な境遇で産まれ育った場合、悪い仲間たちに誘われるまま、ドラッグに走り、盗みを働き、時に刑務所行き、果ては縄張り争いの末に撃たれて刺されて、というコースが待ち受けている。殊にアメリカなら想像に難くない。一種のアメリカン・ストーリーだ。だが、巨漢のマイケルは虫一つ殺せぬような心優しい少年。いつ非行に走ってもおかしくない環境の中で彼が正気を保っていられたのは何故だろうか。『はなのすきなうし』でいられたのは彼の資質故のことなのだろうか。


リー・アンだけでなく、テューイ家は皆心優しい人たちだ。夫のショーン、娘のコリンズ、息子のショーン・ジュニア。周囲の好奇な視線を跳ね返し、陰口に耳を貸さず、皆が暖かくマイケルを迎え入れている。実話だからこそ驚きを感じる。素晴らしい家族だ。写真は実際のテューイ家

リー・アン役としてのサンドラ・ブロックは”水を得た魚”、はまり役だった。アカデミー賞主演女優賞獲得を否定しないが、肝っ玉母さん役は完全に”地”で演じられる役柄(笑)。だが、彼女の演技が演技でなくなり、そこにどうしても”地”が出ざるを得ない理由は間違いなくあった。それは、実子を持たぬブロック自身が、40代後半を迎えた時、養子として迎え入れた子が黒人だからだ。

さて、この両者の映画。登場する少年二人。それぞれが”過去”を抱え、”未来”に向かう。冒頭の質問に対する回答は必ずしも見つかったとは言い切れない。環境、資質、どちらも規定する材料だとは思うが、そのバランスを明確に伝える方程式はない。

映画の出来としては『ディア マイ ファーザー』に軍配が上がるが、両方とも「キネマの歴史」に残る名作とまではいかない。だが、「時代を学ぶ」一つとしてとても楽しめる映画だ。また、子役の2人、レイモンド役、マイケル役、彼らの演技は素晴らしく必見である。

そしてまた、皆さんが「親」であるなら、自分自身が自分の子供にとって「どんな環境」として存在しているのか、自分の子供の「資質」とは何であるか、それらを包括した子育てとはどのようなものであり、自分は親としてそれを子供に与えているか、それらを見つめ直す好機となる映画だ。描く理想通りにいかない現実は、どの親も抱える悩みだろう。だが、親としての自分が現在持っている”力量”で、子供に対し「最大に与えられる何か」と「出来うる範囲で与えている何か」、これが確認できるだけでもしめたものではないだろうか。

無のゾーンにようやくWinkingHappyLaugh


以前、いすみ市にも存在したガラス工房が閉鎖し、その後ずっと「南房総の北部エリア」には工房がないままだった。そこにようやく工房が誕生した。睦沢町の「硝子屋福」である。

上記は千葉県内のガラス工房マップ。千葉県全域ではなく、いすみ市に住む私が、制作のためなら車で出かけられる、出かけてもよい、という範囲を想定してのもの。ふーむ、ほとんどは”遠い”。

私が通っている工房は
東金市のGlass studio Moi。閉鎖したいすみ市の工房主の紹介が縁。距離からいえば遠いが、師匠の人柄やその他、全く不満はなく、車で50分の距離もあまり気にならない。

だが、「南房総の北部エリア」にガラス工房ができたことはとても有り難く、嬉しい。車でなんと15分程度の距離だ。昨年の個展やガラス展の入選がきっかけで、ありがたいことに最近では注文もいただくようになった。今後は制作のために工房を借りることもあると思う。


最近、吹きガラスがマスコミに登場している。2月7日から始まるNHK教育テレビの趣味工房シリーズ『チャレンジ!ホビー・夢が実現・わたしだけのガラスの器』。講師は『スタジオガラスTANI』の谷祥一氏。吹きガラスに挑戦するのは女優の羽田美智子。テキストを見ると、ぐい飲み、グラス、小鉢、大皿、ワイングラス、デカンタ、ワインクーラーとなっている。溶けてドロドロした灼熱のガラス、熱く柔らかいガラスに触れて成型する妙味、吹いて膨らむガラスの不思議、光り輝く作品、見ているだけでも一通りのガラス体験ができる。

この番組を機に、是非、吹きガラスを習ってみるもありだ。いすみ市エリアの方には睦沢の『硝子屋福』を勧めたい。1ヶ月4回分で15,000円。1回2時間で3,750円はとても良心的な授業料である。また、まずはガラスに触れてみてからと考える方には「吹きガラス体験」を勧めたい。同工房でも行っている。グラスは2,800円位でできるようだ。吹きガラス体験を経れば、ガラスが自分に合っているかどうかの判断もつくだろう。

また、
TBSの日曜劇場『冬のサクラ』では、スマップの草彅剛がガラス細工職人という設定らしい。認知症で寝たきりの母親の介護をしながらガラス細工職人。むむ、どうやって両者を両立できるのか?という疑問はあれど、所詮ドラマ。ヒロインは今井美樹。

日本では、吹きガラスは陶芸ほどには知られていない。どんな片田舎にいっても陶芸教室はあるが、吹きガラス教室があるとは限らない。陶芸の方が一般に親しまれている。未経験の人であっても制作工程はある程度想像でき、それがより楽しさを誘うし、入り易い気持ちにさせるのではないだろうか。実は私もその一人であった。いすみ市に引っ越して数年を経た頃、どこかで陶芸をやりたいと考え、教室を模索し始めてもいたのだが、結局出会ったのはガラスだった。ガラス作品は見た事があっても、どうやって作られて行くのかなどは全く知らずにいた。説明を受ければ、なるほど、と想像できなくはないのだが、制作の実際は、想像を遥かに超えていた。

吹きガラスは向き不向きがかなり激しい芸術かもしれない。万人受けのものではないだろう。どちらかというと万人受けと思われる陶芸。そしてその陶芸の道を探っていた私が、ひょんなきっかけでガラスに決めたのは何故なのか。今もはっきりとした答えは出ない。でも、吹きガラスとの出会いはある意味”運命”とも感じる。これからも続けていくつもりだ。