森の奥から秘密の味がWinkingLaughHappy

我が家はかなり僻地にある。だが、この僻地のまた森の深〜いところで畑を耕している人がいた。過去形なので今はやっていない。でもゼロではないようで、時々訪れては”何か”を収穫している様子がある。その人から時々お裾分けをいただく。以前、白い彼岸花をいただいたことがある。

そして今回はフキとタケノコ。


久しぶりに太いフキ。太いタイプは皮を剥かねばならない。それが面倒くさくていつもはもうちょっと細いものを採っていた。でもせっかくいただいたのだからと、覚悟をば。


フキは茹でたときの香りがとても良い。水にさらして色鮮やかに。

次なるはタケノコ。結構小さめ。出始めの柔らかいタイプか。

皮の下部は柔らかくて美味しい。きんぴらにしてしっかりといただいた。感動(^^)/.

ふむ、こうなったら今夜は和食だ! ということでまずは天ぷら。敷地内から蕗の薹を調達。夕方の犬の散歩時に野三つ葉を採取。もちろんタダ!かなり自給自足に近い天ぷら。

天つゆも美味しいが、山菜には山椒と塩が合うように思う。

冷めてもカリカリ衣。なかなか上手にできた。ほんのりと苦みが口に広がる蕗の薹。タケノコは甘〜い味が舌の隅々まで広がった。なんて美味しいのだろう。

フキとタケノコ、厚揚げの炊き合わせも添えて。出汁味に薄口醤油。しっかりと材料に味をすわせ、素材の味も損なわず出来たかなと自負。ハッピー。

本末転倒とはこのことSadGaspEmbarrassed

最近、第三者に身内のことを話す際の呼び方で違和感を感じることがある。自分の奥さんのことを「よし子さん」「真弓さん」というように「さん」付けするご主人。時には「奥さん」と呼ぶ人も。また、奥さんを「嫁」と呼ぶご主人。姑が嫁と呼ぶのはわかるが。また、奥さんがご主人を「ダンナさん」と呼ぶ例にも出くわす。

第三者に話す時、身内は呼び捨て。あるいは「妻」とか「女房」、「亭主」や「主人」、と思ってきたが。へりくだり、謙譲、序列を付けた呼び方、これが日本式では? まして、「奥さん」と呼ぶ対象は、自分の側ではなく、第三者の妻をそう呼ぶのではなかったか?

こういう例はどうか。坂田という家があり、家政婦さんを雇っているとしよう。玄関先で坂田家の奥さん、家政婦さん、銀行マンが坂田家のご主人に用があってきている設定。ご主人は出かけている。奥さんが家政婦さんに対し「旦那様はどこかしら?」と、尋ねるのはあり。でも、銀行マンに対しては「坂田は出かけているようです」と言わなければならない。序列があるからこそ、こういう例も成り立つ、のだと”信じて”きた。この奥さんの「様」から「呼び捨て」の変わり身、これは会社では常識のはず。社内で「田中さん」と呼んでも、社外の人には「田中は」となる。

時代の流れとともに言葉の使い方、使われ方も違ってくる。言語学者でもないため、本当のところはわからないが、そういう巷の「流行」に今ひとつ馴染めず、違和感を感じ、時には「それ、間違ってるわよ」と言いたくなるのは、やはり歳なのか、とも。

話はかなり変わるが(変わっているようでいて実は関連があるのだが)、もうすぐ新卒就職の4月。だが大学生の就職難は依然として変わらない。苦肉の策なのかどうか、「卒業後の3年間は企業側に門戸を開くよう求める」とした日本学術会議、「新卒の肩書きを与えるための希望留年制度」を設ける大学側。

は??? 何をしているのだろうと言いたい。
以前このブログでも伝えたように、日本企業は「新卒好き」で、学生の「就活」は今や3年生からが当たり前。オマケでもらったプラス1年の就活組、5年生”新卒”。こんな小手先のごまかしのような「新卒」を作っても、企業は所詮、通常の4年で就職するこちらの”新卒”を選んでしまうのではないだろうか。或いは、5年新卒に対しある種の負け組的偏見をもって見てしまうのではないだろうか。彼らが不利にならないとどうして言い切れるのか。

そもそも、3年生からスタートの就活で学業がおろそかになっているような学生を4年卒業で会社に入れる方がリスキーと言える。学生の本分は学業。この就職難で、教授陣もお情け的に単位を上げているということはないだろうか。3万字や5万字もの卒論はきちんとした調査やデータの精査があってこそ書けるもの。まさかこちらもお情けで、か? 学業は学業のためだけにあらず。学業を通じて「なりたい自分」を探って行く。このために大学の勉強がある。高校までの勉強は、定説とその因果関係を「覚える」ことが主。一方の大学は、その定説と因果関係に「何故」という「独自の視点」を投じ、そこを掘り下げて、その「意義」をつかみ出す営みを行う学問の府だ。常に「問い」を学ぶ場所なのである。ここでしっかりと「問い」を学べば、曲がりなりにもいっぱしの社会人になれる。そのように科目は組み立てられているのだから。

だが、3年就活の結果、「使えない」新社会人を続々と排出しているのでは。企業側は第一に「コミュニケーション能力」を重要視しているという。最近ではキャリアコンサルタントに面接の訓練をしてもらっている学生も増えている。エントリーシートの書き方も含め、自分をどうアピールするかを教え込むのである。訓練は悪い事ではない。自分自身の新たな発見もある。だが、プロに教え込まれた戦略が面接という本番用の「芝居」になってしまうことはないだろうか。教え込まれたことが本当に「実になっているか」はわからない。何せ、まだ社会は未体験ゾーンなのだから。

この際、卒業後の1〜2年は就職せず、社会勉強タイムとしたらどうなのか。ボランティア活動などを通じて社会を知り、自分をも見つめる。このぐらいの期間があれば「進路」も見えてくるのではないか。その上で就活。その方が何倍も「使える」社会人になるはず。そうすれば4年間はしっかりと学業に専念でき、真に学問も身に付く。卒業後の社会勉強タイムにも身に付いた学問が活かされる。こちらの方がいい事尽くめではないか。

少々乱暴な見解だが、先の「さん」付け若者を、「使えない」社会人とイコール化させたくなる私がいる。。。

辛辣だけど真実WinkingHappyWinking

好きな社会学者? ふむ、マックス・ウェーバー、そして上野千鶴子、かな。前者が「難解」なら、後者は「痛快」(笑)。痛快な理由は、とにかくイヤな輩をメッタ切りにする、そのやり口(笑)(笑)。

上野氏は東大の教授。フェミニストの筆頭格。ジェンダーを語らせたら右に出る人はいないのではないだろうか。オトコたちを束ねては投げ捨て、また束ね、今度は千切って投げつける。かと思ったらそれを拾い、救うのかと思わせた途端、ニコッと笑って火をつける。かなり過激だが、上野氏を表現するならこれが相応しい。だがこれはあくまでも彼女が社会学者として論争する際の話であり、実生活での男性対応ということではない(笑)。

論争で燃えカスになるのは、家父長制や儒教精神などがベースとなり、”オトコが一番”、という社会に支えられてきた「思い上がりの強いオトコたち」。燃えカスになったオトコたちはいわばダメ男。

だが、彼女が批判するのはこのダメ男だけではない。ダメ男を批判的に見ているようでいて実はその世界にどっぷり浸かり、結果としてダメ男の擁護にまわっているかのようなダメ女たちも標的だ。

そんな上野氏が朝日新聞の「悩み相談」の回答者として登場している。いいのだろうか、彼女で(笑)。先日の相談にもかなりぶっちぎりでの回答があり、あまりにも痛快すぎる反面、社会学者としての彼女は一流だが、心理カウンセラーには不向きかもしれないと感じた(失礼)。

相談者は30代の女性。出産を機に退職。夫がゴミの仕分けを手伝ってくれない、シャンプーやトイレットペーパーなど、家庭雑貨を購入して補充するということを全くしてくれない、と。気づいた方がやればいいし、気づいた方が損なだけ、気づかないフリでもしたらどうかと、夫の弁。職場にいたころは、コピー用紙などは率先して補充し、職場の後輩たちもそれを見て成長したというのに、何故私の夫は、という悩み。

それに対する上野氏の回答はかなり辛辣。そんな男だと結婚前に気づかなかった相談者はうかつだ。だが、夫を再教育することは可能ながらも、それをやる間に夫婦間のトラブルは絶えないだろうし、そうなったら夫を「返品」(もちろん離婚の意味)するのかとなるが、正社員の仕事を手放したことで「返品」も難しいはず。それにゴミやら職場の後輩の話など、やっている姿を見せて覚えてもらったという引用から、相談者があまりにも伝統的な日本の妻の悩みであることをも批判している。

相談内容からすると、結果としては上野氏の言う通りだと思う。私にも相談者はかなり古典的な日本女性に写る。子育てはままごとではない。親の生き方や哲学が長期間にわたって試され、生き様が常に社会の眼に晒され続けるということだ。文面から勝手に推測するなら、相談者はダメ男を掴んでしまったと言うしか無い。しかしまだ30代の女性。たぶん20代位で結婚したのだろう。結婚するとき、女性の目にはハートマークとお星様マークしか写っていないもの(男性も同じか)。それが若ければ若いほど(人を見てきたという経験が少ないという意味で)ハートは大きく、星はキラキラ輝き、それが仇となって相手の真の姿を見えなくする。そして、生活をして行く中で「貧乏くじ」に気づく。気づいても別れられず、子育てや家事に追われる毎日。こんな夫婦はたーくさんいる。枚挙にいとまが無いほどだ。

だが、そんなダメ男を選んだあなたが悪いと、ただ一言で片付けることはできない。カウンセラーとしては、相談者の援助をしつつ、「気付き」を促すお手伝いをしなてくはならない。気付きの結果として選んだ方向が、たとえば離婚等のように社会的には否定的に捉えられていることであっても構わない。或いは、多少仮面夫婦になったとしても、家事に対する手伝いを期待することは諦め、夫を給料運搬人として割り切る。これもありだ。重要なのは、相談者自身が決断した事を胸を張って明るく行動に移すこと。これが「気付き」なのだ。

私も個人的な立場だったら言いたい事は上野氏と同じ(笑)。だが、これは気付きを促すというよりも一刀両断(笑)。ま、そこが上野氏のカッコイイところなのだけれど。それに、相談者がどの程度悩んでいるかも疑問だ。新聞投稿での相談は必ずしも採用されるとは限らない。本当に「悩んで」いるのなら新聞は選ばないのでは。上野氏もそのあたりを承知しつつ、いっちょう喝を入れてやるか、と考えたのだろう。

だが、一抹の不安は相談者の今後。現時点ではボヤキ程度の悩みで済んでいるかもしれないが、彼女が「気付き」に到達しないままに過ごすと、子供の非行、家庭内暴力など、家族崩壊に至る確率は少しずつ高まって行く。何せ、機能不全の家庭悲劇のスタートは、そもそもボヤキ程度の小さな悲劇から始まることが多いのだから。

良いのか悪いのかGaspSadHappy

「大西洋クロマグロ禁輸」が否決された。欧州連合(EU)とモナコ提案が否定され、日本他の国々の”願い”が叶った格好だ。難航の予想、日本側敗北予想の方が色濃かったはず。だが勝利の理由は「産業問題」と捉えた国々が多数派だったということらしい。敗北側はクロマグロの数を保護するという「環境問題」に律した立場。つまり、生活がかかっている国々の勝利ということだ。また、禁輸の側にいたはずのEUにも「産業問題」を抱える国々があり、EU自体が分裂していた。このタイミングで採決すれば「勝てる」と、その分裂を日本に「密告」した国があったという。

また、発展途上国の不満も蓄積していた。環境問題は常に先進国側から発信され、発展途上国の資源利用を縛る。途上国側から見ると、先進国はこれまでさんざん天然資源を利用してきたくせに、環境問題を大上段に掲げて途上国の経済成長を阻止するのか、という苛立がある。そして、これまでの環境問題には「援助」という「アメ」が付いてきたが、今回は「ムチ」のみ。

他にもいくつか勝利の理由はあった。だが日本の根回しも際立ったように感じる。あの「密告」を受けた日本は、”どこか”が採決動議を提案した際には賛成をと、各国にお願い行脚を行った。バッシングの矢面に立たされている日本が採決動議を出すのはまずい。そこでどこでもいいが、”どこか”の国ということだ。動議はリビアから出された。

クロマグロが枯渇するのはまずいことだ。だが途上国側はその枯渇寸前というデータすら疑っている。こうした状況でモナコやEUが「環境問題」としてスタートさせた、時期尚早の議論だったのだろうか。

大海原の大自然だけでなく、陸地でも「環境問題」が発生している。干ばつケニアの国立公園で、獲物に困窮したライオンが家畜を襲っているという。観光資源の目玉であるライオンを守るため、国側は窮余の策としてシマウマやヌー7千頭を、「生きたエサ」として移動させた。ブランコやジャングルジムのある町の公園とは規模が違い、巨大な面積の中での「自然生態系」ということはわかるが、結局は「餌付け」である。想像を絶する大きな規模の「動物園」とも言えないだろうか。だが、何故か悲しい気持ちになる。「自然」とはどこからどこまでであり、どこからが「不自然」なり「人工的な人間世界」になるのだろう。

種の絶滅から動植物を救うという観点で取り組まれる「環境保護活動」。多種多様を是とする上では「人間の介在」は欠かせないということのようだ。一方では、人間が、その地域が、ひいてはその国が「生活」していくために、人間の手によって、先のシマウマのように人工的に動物の数が増減させられる。干ばつの問題だけでなく、ケニアの開発が進んだ結果、ライオンが保護区や国立公園の外に「獲物」を求めざるを得ないという状況もあるという。また、開発により人口が増え、住処を失った野生動物が保護区に追い込まれてきているという事実もある。

市場経済の波に巻き込まれた人間は、自分たちの「生活向上」のために開墾を続ける。それによって絶滅危惧種指定となる動植物が発生するかもしれない。絶滅危惧種指定は、もちろん先進国側から発信される。「環境問題」として提示され、生活がかかっている途上国はそれに反対する。あるいは同意する代わりに物質的援助を求めるだろう。

全ての動植物がその種や数を保持し、しかも人間が経済向上や生活利益を得る営みを継続できる世の中。果たしてそんな理想郷は存在するのか。

おふくろの味継承はお早めにLaughHappyWinking

ふと思いついて「たくあんの醤油煮」をつくってみた。私にはと〜っても母親の味、おふくろの味。ご飯のおかずにもいいし、日本酒のつまみにも最高(^^)/。



作り方はいたって簡単。たくあんをボールに入れ、完全にかぶるぐらいの水を注いで半日位置いて塩抜きし、そのたくあんを1センチ幅の輪切りにして醤油と酒(みりんでもよし)、鷹の爪を一つ入れて煮るだけ。醤油と酒の量は、通常の大根の煮物をつくるときの感覚で。鷹の爪は一本を2つに割り、種をある程度捨て、サヤと3〜4粒ぐらいを入れるのが個人的にはちょうど好みの辛さである。

何度か友人知人に裾分けをしたことがあるが、誰からも喜ばれた。そして皆この不思議な食感と味に驚く。先日、ランチを一緒にした友達に出してみたところ、パクパク食べて止まらなかった。通常の大根煮よりも歯ごたえはあるけど違う味。通常の大根煮とは異なる塩分感。口の中でのカリカリという音、飲み込んだ後にふわっと広がる程よい辛味。水でも飲まないとしんどいという辛さではないが、じわじわっと舌に広がる辛味は意外に持続性がある。一度試してみて、舌にビンビンくる方が好きという人は、鷹の爪の粒を増やしたらいいかもしれない。でもまずは3〜4粒からがお勧め。

「たくあんの醤油煮」はいつも実家の自家製たくあんで作っていた。だが、年老いて力も無い母にたくあん漬け込み作業は重労働となっている。醤油煮は20年以上前から自分で作っているが、たくあん作りはまだ未経験。実家のたくあんは着色料を使わないのは当然だとしても、甘みもかなり控えめの味。それが私には世界一美味しいたくあん! 今回の醤油煮は産地直売のものを使った。スーパーのものは、着色料だけでなく、アミノ酸と称した「化学調味料」が必ずといっていいほど入っていて、それが妙な甘さとなって不快な感触で舌に残る。なので、できれば「ケミカル」な物質が入っていないたくあん使用をお勧めする。

「おふくろの味」は永遠性という響きを持つ。一説によると、12歳までに食べていた食事はその人の食生活を永遠に規定するという。おふくろの味、中には「親父の味」、「パパママの味」もあるかもしれないが、子供時代の「家庭の味」は死ぬまで美味しいと感じられるということらしい。もちろん好き嫌いがあるわけだから、「好き」だったものが、ひとつの「料理の味」として脳内の記憶に刻まれるということだろう。

平均寿命が伸びたとはいえ、親がいつまでもピンピンしているとは限らない。おふくろの味を継承するなら、早めがいい。極端に言えば、親が50代、60代位になったら、不測の事態に備え、レシピを確認しておいた方がいいかもしれない。ずっと食べる側でいると、ただの煮物じゃん、とか、ただの炒め物だし、などと案外軽く考えがちで、真似るのは簡単だと高をくくってしまいがちだが、自分で再現を試みてみると、味が全然違ってしまうことが多々ある。調味料の微妙なさじ加減や投入順序、想像外の下ごしらえ、こだわりの食材選びが意外にも潜んでいることがあるものだ。だからこそ、実家に行けばいつでも食べさせてもらえる、こんなふうに親がピンピンして元気な年齢にこそ、おふくろの味を継承すべきだと思う。認知症や大病を患わないまでも、親が70代後半から80代にもなると、体力や気力の減退と比例するかのように、本人の料理作成意欲も激減してくる。

私にとっての「おふくろの味」は、7割位継承できたように思う(かなり推測に近いが(汗))。残りの3割は今後の課題。だが、課題であることとは別にして、作る意欲が失せている親を見ることも哀しいし、いずれは母親自身が作った「おふくろの味」とも別れる日がくるのだと考えることの方がもっとずっと哀しくてツライ。だからこそ、皆さん、早め、早め、が肝心ですゾ。

手前味噌「第6期生」WinkingWinkingLaugh

実家に伝わる手作り味噌を継承しようと考え、10数年前から始めた「手前味噌」づくり。手前味噌の裾分けが縁となり、我が家で一緒に味噌作りをすることも増えた。確かに百聞は一見にしかず、である。味噌作りもレシピを見ながらやるよりも「手本」を見ながらやる方が断然よい。

今年は確か「第6期生」ぐらいになると思う。実家の味噌レシピの特徴は、麹の量が倍であることと、味噌の表面に昆布を乗せる事、だと思う。そして、スタート!


大豆をかなり柔らかくなるまで煮る。


フードプロセッサーを持ち込んでのY1さん。なんでもこのマシーンは精米機の役割も持つとか。


一足先に大豆をつぶし終えたY2さん。麹と大豆を混ぜ合わせ、味噌瓶に。


味噌の表面には昆布。以前、このブログで紹介したように、この昆布と味噌の接面部分が出汁入り味噌のように美味しいのであるっ!


*勝手に命名した「手前味噌実演会」。これまでの”卒業生”を振り返ってみると、味噌作りが続いている人もいれば、続かない人もいるようだ。美味しいから作りたいという気持ちだけでなく、誰でも最初は作ること自体に好奇心を抱き、それがモチベーションとなって作っているように思う。でも、一回作る事で満足してしまったり、一回の量で充分なボリュームになるから、ま、いいか、となるケースが多いようにも感じる。また、結構煩雑な作業なのだと感じて気持ちが引き一人でやるほどの情熱がなくなったり、翌年になってしまうと情熱がすっかりなくなっていたり、複数でワイワイやるお祭り気分エンジョイ派は独り作業でやるのはつまらないと感じたり、などなど、様々なるモチベーション下落の理由が想像される、ふむ。

本当は2〜3年は連続で作った方がよい。裾分けで一番好まれるのは2年ものの味噌。2年後に一気に消費してしまうと在庫がなくなるわけで、連続して作っていく理由がそこにある。

手作り味噌の良さを感じてもらい、それを継続してもらえたら嬉しいと考えて自宅の台所を提供してきた。毎年作ってますよという報告を受けると本当に嬉しい。しかし、先の例のように、やめたらしき雰囲気に出会うとやはり寂しいものがある。こんなことを言う理由は、今回の6期生の一人は、来年もやる宣言をしていたが、もう一人はかなり、かなり後者の側にいるような発言もあり、そういう雰囲気を醸し出してもいたからだ(笑)。でもそれでもよしと思う。とにかく一度は体験してやり方は覚えたのだし、その上でレシピも渡してあるし、しばらく続かなかったとしても、またいつか再開してくれるかもという淡い期待も抱けるからだ(^^).。

親子の絆を問いかけた女優賞WinkingHappyLaugh

日本国内ではこのところ、親の虐待による幼児の死がいくつも報道されている。痛ましい限りである。もちろん、親も完璧ではない。物心がつけば、たとえ幼子であっても一人前に減らず口を叩き、親を困らせることもあるだろう。時にはそれに腹立たしさを感じたり、躾の一環で叱ったつもりがつい感情的になり、お尻をぴしゃっと叩いてしまうこともあるだろう。でもその後は大きな後悔に苛まれ、また、子供を狂おしいほどに抱きしめたくなるなど、こうした懺悔にも似た気持ちになるのが”通常”の親ではないだろうか。

一方、ハリウッドに目を転じてみると、今年のアカデミー賞の主演女優賞・助演女優賞は、そうした日本に何らかのメッセージでも送っているかのように、受賞の役柄はともに「母親」だった。

助演女優賞獲得はモニーク。黒人の母子間で、娘に暴力を振るう母親役を演じた。娘は父に妊娠させられ、母親からは虐待を受け、字も読めないという16歳、という設定らしい。映画のタイトルは
『プレシャス』

主演女優賞は、サンドラ・ブロック。こちらは、裕福な白人の母親がホームレス同然の黒人の少年を家族に迎え入れる話。実話に基づく映画でタイトルは
『しあわせの隠れ場所』。白人の彼女に引き取られるまで、ベッドで寝た事がないという貧しい少年。そんな彼に勉学の機会を与え、彼の仲間の脅しにも屈することなく、アメリカンフットボールのプロ選手への道を切り開いてあげた。

親が実の子に暴力をふるう映画。一方は血のつながりのない、そして人種を越えた親子の愛情劇。この両極の親子像にオスカーが与えられた。オスカーを受賞したサンドラ・ブロックは、人種その他の要素に関係なく自分の子供として育てた親たちに敬意を表する内容のスピーチをしていた。

授賞式の当日は、WOWOWにチャンネルを合わせ、アカデミー賞の生放送を見た。私の祈りが届いたのか、サンドラ・ブロックが主演女優賞を獲得しとても嬉しかった。ノミネート常連の大女優、メリル・ストリープを押しのけての受賞だけに、テレビの前で思わず拍手をしてしまった(笑)。サンドラ・ブロックは悪く言うと演技の幅はそれほどないと思う。そこはメリル・ストリープにはかなわないだろう。でも、私は何故かサンドラ・ブロックが個人的に好きである。理由は「良い人」だと感じられるから。気さくで楽しくて心も温かい人という気がする。しかもかなり頭が良い人だと確信する。スピーチで他の候補者に賛辞を贈るだけでなく、強敵のメリルには格別の”挨拶”もある。またマスコミの対応も巧く、そつがない。誰に対しても大スター気取りのない対応は、スマートでなければできない技だ。また40代半ばの彼女は、この年代でとしては映画のプロデュースを手がける女性プロデューサーの草分け的存在なのだそうだ。演じるだけでなく制作に携わる。マスコミにも共演陣にも、ライバルとも良い関係を築いていく。さすが、だ。

気さくといえば、サンドラ・ブロックはアカデミー賞授賞式前日に開催される「ラジー賞」、別名「最悪映画賞」授賞式に顔を出した。もちろん受賞作はオスカー受賞の映画ではなく、『All about Steve』。この映画で不名誉な最悪女優賞に輝いてしまった彼女(笑)。通常、コケにされるこの賞の授賞式に出席するセレブはいない。だが、彼女はステージに登場。しかも大きな台車にラジー賞獲得の映画DVDをたくさん乗せて持ち込み、会場の人々に配るという。スピーチはとても彼女らしくて面白い。「ハリウッド(この場合ラジー賞)って、出席すると言ったら賞まで受賞できるのね。それならずっと前にアカデミー賞にだって出席すると言ったのにね」。アカデミー賞にずっと縁がなかった彼女ならではの自虐的ギャグ(笑)。オスカーとラジー、両方の”名誉”に同時に輝き、両方の授賞式に出席したのは、サンドラが初めてなのではないだろうか。

YouTubeのラジー賞受賞の模様。是非ご覧あれ。
http://www.youtube.com/watch?v=adYced7GB8k&feature=player_embedded

成長国の表裏SadEmbarrassedGasp

昨年のアカデミー賞は、ブラピ率いるデヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』が有望視されていたにも拘らず、作品賞や監督賞など主要部門をさらったのは、ダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』だった。嬉しいダークホース、である。

スラム街出身の青年がテレビのクイズショーで賞金を次々に勝ち取っていくというストーリーだ。日本では、みのもんたでお馴染みの「ファイナルアンサー?」という、アレ。

スラム街で育ち、無学のはず、の彼が何故そこまでクイズに正解してしまうのか。インチキ、カンニング、様々な憶測が飛び交い、取り調べまでに発展してしまう。だが、主人公ジャマールの正答継続には理由があった。それはジャマールと同じスラムで育った幼なじみで初恋の女の子ラティカー。子供のときに離ればなれになる二人。だがジャマールはずっと彼女を探し求めてきた。その彼の旅路の中にその理由があり、クイズの出題と彼の人生はピタリと重なるのである。

中国と同様に、経済発展の著しいインド。人口は11億人。だが、成長途上には陰と陽、光と陰はつきものである。この映画でもスラムの様子が映し出される。知識層にしてみれば、インドは一種の”英語圏”。IT業界におけるインドの活躍は世界規模である。それとは裏腹に、こうしたスラムもまだ存在しているのだと感じさせた。

上記の光と陰以外にも、こうした映画で問題視されることがあると聞く。それは、スラム街の子供を映画に起用した後の、”アフターケア”だという。つまり、ギャラの管理の問題である。ハリウッドなど”西側”の映画に出演した場合、スラム生活者にとってギャラは大金である。エージェントが割り込んできて出演料を搾取し、起用された子供にそのお金が行き渡らない、また、映画製作側自身が搾取するケースもあるという。この映画でそんなことはなかったと信じてはいるが。

なかなか見応えのある映画だと思う。過酷な幼少期、そして厳しい生活。だが、それを狂おしいまでの愛でパワーに変え、運命を切り開いて行く感動の物語である。インド映画といえばダンス。エンディングのダンスも楽しい。

明日はアカデミー賞発表。サンドラ・ブロックに是非主演女優賞を取って欲しい。それ以外は今のところ?

おかっぱヘアの殺人鬼Foot in MouthEmbarrassedAngry

「お金と殺人」がストーリーの根幹にある映画を二つ。監督・脚本は、かのジョエル・コーエンとイーサン・コーエン兄弟。一つは『ノーカントリー』2007年、もう一つは『ファーゴ』1996年。

『ノーカントリー』は血も凍るようなプロフェッショナルな殺人鬼。一方の『ファーゴ』は、堂に入った殺し屋家業の動きとは決して言えず、滑稽さをも感じさせるが、シーン後に何とは知れず悪寒が走る。また両者には、音楽・音響面での面白い違いがある。『ノーカントリー』では、音楽らしきものはかなり割愛し、自然に聞こえてくる環境音がメインになっている。だが一方の『ファーゴ』は、サントラが効果を上げる。弦楽器が奏でる哀しげな調べに乗せ、舞台となるアメリカ中部の雪景色が映し出される。時には雪道を走るパトカーとその寂しげなメロディが重なり合う。

『ノーカントリー』で異彩を放ったのは、殺し屋役のハビエル・バルデム。通常、映画で描かれる殺人鬼のヘアスタイルを想像すると、髪は短いか長いか、のどちらかではないだろうか。基本はすごく「男」を意識させる雰囲気。角刈りだったり、ボールドヘアだったり。長髪の場合は、ぎしっと後ろで束ねたストレート長髪、真ん中分けの束ねないロングストレートヘア、ちょっとカールがかかったミディの長さヘア、など、か。



だが、2007年の『ノーカントリー』では、殺人鬼はおかっぱヘア(笑)。演出家、ヘアメーク、キャスティングプロデューサー、何れが活躍したのか、この意表をつくヘアスタイルは、先述の殺人鬼ヘアスタイルの定義を根底から崩したように思う。

このあり得ない?ヘアスタイルは、ハビエル・バルデムとの組み合わせだからこそ”活き”ている気がする(笑)。かなり濃ゆいラテンの目鼻立ちにこのヘア。だが、そもそも二枚目のバルデムなのであり、他の映画では”普通”のヘアスタイルでそのハンサム度合いをしっかりと披露している。

大金の入った鞄を見つけて逃走する男。そのお金を取り戻すために雇われた殺し屋役のバルデム。ピストルやマシンガンが一般的?な凶器になるところだが、この殺人鬼が使う凶器は、ホース先端から圧縮した空気を一気に出す酸素ボンベのようなもの。この不思議な凶器を抱え、無表情でモーテルの廊下を歩く彼の姿はそれだけで恐怖感を煽る。

一方の『ファーゴ』。こちらは、”王道的”な殺し屋ヘアスタイル(笑)。この映画は脚本も素晴らしい。北欧系移民が多いと言われるアメリカ中部の町が舞台のため、話す英語も独特である。夫婦の会話、警察官同士のやりとり、聞き込み時の目撃者との会話は、不思議なリズムと響きがあって、滑稽な会話にすら感じさせる。英語がわからなくともそのユニークさと滑稽さは理解でき、充分楽しめると思う。

また、キャスティングも素晴らしい。最初は偽装身代金誘拐だったはずが、歯車が狂い始めて殺人事件へと発展する。誘拐事件を計画する役のウィリアム・H・メイシー。妻の父親が経営する中古車販売のセールスマネージャーで、いわばマスオさん状態。多額の借金返済に困窮し、偽装誘拐を企てる。誘拐を依頼した男がちょっとした手違いから人を次々と殺してしまう。計画が狂い、刑事まで介入してくる中、戸惑うどうしようもない男、小心者の男、この役をメイシーは巧みに演じている。そして殺人事件の担当刑事にはフランシス・マクドーマンド。妊娠7〜8ヶ月でお腹の大きい敏腕刑事役。アカデミー賞の主演女優賞獲得は大いに納得できる、傑出した演技だった。マクドーマンドの夫役、ジョン・キャロル・リンチもいい。切手の絵柄募集に応募する、のんびりとした専業主夫(多分)役である。出番はほんの5分程度ながらも、彼の存在があるだけで、通常はこの町は平和な町であり、血なまぐさい今回の連続殺人事件は希有な出来事なのだということを教えてくれる。

『ノーカントリー』は、アカデミー賞作品賞、監督賞他を獲得しただけでなく、ゴールデングローブ賞にも輝いた。バルデムは助演男優賞を獲得。『ファーゴ』はマクドーマンドの最優秀主演女優賞、脚本賞を獲得。私個人の意見としては、全体的に『ファーゴ』の方が映画として優れていたと感じる。だが、両方とも見る価値のある映画だと思う。是非ご覧いただきたい。

18世紀の”婚活”事情WinkingWinkingLaugh

イギリスの作家ジェーン・オースティン。映画化された彼女の作品の中で好きなものは2つある。ひとつは『プライドと偏見』。もう一つは『いつか晴れた日に』

両者に共通するコンセプトは「婚活」。18世紀から19世紀初頭の中流地主層に生きる女性たちの結婚事情を描いた映画である。この時代を簡単に説明すると、貴族という爵位はないものの、地主としての財産を持ち、働くことは下層の者という考えがあり、基本的に働かない。資産額や名家出身などによって、この階級の中でも多少の上下がある、といったところ。

女性の立場に至っては、21世紀の今と比較するとかなり手厳しいものがある。女性に財産相続権はない。詩の朗読やピアノなど、今で言う「花嫁修業」は女性のたしなみとしてある程度は必須。職業婦人になることは考えられないから、年頃になると、とにかくステキな男性に出会って結婚すること、これに限るという10代、20代をおくることになる。

オースイティンの小説は、この時代の女性たちの現状を、辛辣に、また揶揄を込めながらも愛情をもち、そして滑稽に表しているといえる。

『プライドと偏見』は2005年。主演はキーラ・ナイトレイで、彼女は5人姉妹の次女役。財産は土地のみで、この階級の中では決して資産家とはいえない家の5人姉妹の「婚活物語」である。資産家の独身男性が近くにやってくるという情報を耳にし、舞踏会に娘たちを送り込む母親。社交界に出るにはまだ少々早い末娘が、結婚をゲームのように捉えてはしゃぎ回るあどけなさ。自分の不器量を認め良縁に期待を抱いていない20代後半の女性は、資産家の御機嫌取りに奔走する小区域のしがない牧師と結婚を決める。悪い第一印象から始まりながらも、互いにどこか惹かれ始める気持ちが高まり、だがちょっとしたすれ違い、そしてプライドや偏見により、近づきそうになりながらも離れ、また惹かれる気持ちを感じながらも口論になってしまう男女。互いに惹かれ合った第一印象があるにも拘らず、控えめ過ぎることが仇となり、そこに友人の要らぬアドバイスなどが加わり、関係の進展が見られないままに過ごし、遠回りしてしまう男女。脇を固める俳優陣には資産家役のジュディ・デンチ。彼女の凄みと迫力ある演技も見どころ。5人姉妹をとにかく嫁がせることしか頭にない母親役のブレンダ・ブレッシンの演技は、見ているこちらが少々恥ずかしくなるぐらいに浅ましくて巧い(笑)。

『いつか晴れた日に』は1995年。主演はエマ・トンプソン、ヒュー・グラント。こちらも、お約束、の、女ばかり3姉妹。ある日父親が亡くなる。もちろん母と3姉妹には財産相続権はない。父親の先妻に息子がいて彼が相続権を持つ。父親は死の床で”女たち”のことをよろしく頼むと先妻の息子に言い残すが、息子の妻はしたたかで強欲。遺言なんか何のその、母と3姉妹をさっさと追い出し、家を乗っ取る。それでもどうにか田舎のコテージで新生活を始める母と3人姉妹。だが、男女の運命は複雑に絡み合う。強欲なあの妻の実の弟と、3姉妹の長女が恋仲になっていく。強欲な彼女はもちろん阻止に余念ははいが。なかなか結ばれない二人。様々な”人災”に遭遇し、それらに翻弄される二人。もどかしいばかりの二人に見ている方もイライラが募る(笑)。また、3姉妹の次女も恋をする。一時は本気だったはずの男が、財産がない次女をふってしまう。その次女を優しく見守る男性。果たしてこの恋のゆくえは、といったところ。気の強い次女役にはケイト・ウインスレット。控えめな長女とは対照的で、かなり情熱的な女性を好演している。

映画は両者ともにハッピーエンドを迎える。両オースティン映画は、勧善懲悪に近い。正直者、良い人、優しい人、そういう人たちが最後には必ず報われる。悪い側は経済的に懲らしめられることはないが、精神的には罰が待っている。悪いヤツに苛立を感じても、映画を見た後は、必ずや溜飲を下げること間違い無し(笑)。是非、連続でご覧いただきたい映画である。

アカデミー賞授賞式が近づいてきている。それに因むと、キーラ・ナイトレイは『プライドと偏見』で主演女優にノミネートされたが、オスカーの軍配は『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』のリース・ウィザースプーンに上がった。個人的にはキーラ・ナイトレイの方が良かったと思ったが。エマ・トンプソンも主演女優賞にノミネートされた。だが先のキーラ・ナイトレイと同様にオスカーを逃した。オスカーをさらったのは『デッドマン・ウォーキング』のスーザン・サランドン。こちらは納得できなくはない。

*『いつか晴れた日に』の監督は、アン・リー。カウボーイでゲイという2人の青年の長期にわたる愛を描き、アカデミー賞最優監督賞に輝いた『ブロークバック・マウンテン』の監督である。台湾(確か)人、つまりアジア人の彼が、18〜19世紀のイギリス、いわば西洋の時代劇を描いたという点にも注目したい。

iPhoneは楽しいLaughLaughLaugh


携帯電話は、絶対にiPhone!!! PCメール、インターネットがパソコンとほぼ同じように使える、いわばパソコンでもある。それに音楽や写真も。住所を入れて目的地に、というGPS的機能もあり、iPhoneを見ながら初めてのレストランに出かけたこともあった。

これまであまりアプリには無頓着に近かった私。でも、最近ではiTunesストアで色々とチェック、チェック。

つい先日、友達からメールがあり、すごく可愛いからこのアプリを買って〜〜、と。さっそくそのURLをクリック。iPhoneだからこそ楽しめるアプリ。すごく楽しくて可愛い。たったの115円。すぐにゲット。ハムスター、犬、猫が登場。そこに向かって喋ると、同じ言葉をオウム返しするアプリ。
以下がそのURL。
http://www.youtube.com/watch?v=0bNlV5wIohY&feature=related

私もさっそくやってみた。
私:「どうして真似ばかりするの?」
ハムスター:「どうして真似ばかりするの?」
私:「なんなのよ?」
ハムスター:「なんなのよ?」
私:「もうイヤ」
ハムスター:「もうイヤ」

・・・・・・・キリがないし、とにかく笑える。このアプリのURLを送ってきた友達の携帯はau。私に買わせておいて、今度会った時にしっかと楽しもうという魂胆(笑)。でも、115円。それに私もかなり楽しんでいるし、情報を教えてくれて感謝。

iPhoneのアプリ制作者の多くは個人なのだろうと想像する。ITに詳しければ、パソコン一つでソフトは作れる。シェアウェアやサードパーティなどのように、個人レベル、SOHOレベルの人たちが活躍する場になっていることは良い事だと思う。

そして先日、iTunesストアを見ていたら、無料ソフトに「禅」というのが。

特に足を組んでの座禅は必要ないらしい。手だけは座禅時の格好にする。手の中にiPhoneを置いて、時間コースを選択して沈思黙考するものらしい。座禅完成度合い?で最後に点数もつくらしい。このアプリのカスタマーレビューはかなり笑えた。

「画面見ちゃうと禅どころではなくなるし、見ないならアプリいらないし、その矛盾が禅なのだろうか」

だそうだ(笑)。無料だからダウンロードしてもいいのだけれど、今回はやめておいた(笑)。