計画停電と東電の体質Foot in MouthEmbarrassedSad

福島原発問題に端を発した計画停電。東電によれば「数百万キロワットの不足」。この不足のため、大所帯の関東地方は5グループ(細分化され、25地区となっているが)に分けられ、停電地区のシミュレーションが日々行われている。役所や東電のウェブサイト、自治区域の有線放送など、今や一般市民にとっての計画停電チェックは、毎晩、毎朝の日課だろう。

そしてこの計画停電は、今年の夏はかなりシビアな状況になると予測されているそうだ。酷暑の夏に冷房切れのビルやアパートを想像すると、確かに恐ろしい。

しかし、本当にまだ必要なのだろうか。というのは、2003年のこと。原発の重大な欠陥隠蔽とデータ改竄が発覚し、原発を止めざるを得なくなった東京電力。止めた原発は、今日世界的に名が知れることとなった福島原発、そして柏崎刈羽原発。4月15日から止まった状態の原発は同年の夏も止まったままだった。だが、その真夏に停電は起きていない。

現在行われている計画停電はまるで「原発が無いと計画停電は続く」のであり、「電力不足は原発のストップによるもの」、というような印象を与えている。今回の地震では火力発電所にも被害が生じ、まだ復旧していない、或いは立ち上げが円滑に進んでいないという事実がある。だが、火力発電所の被害を今回の電力不足に結びつけている人はどのぐらいいるだろうか。多いとは言えないどころか、かなり少ないに違いない。

記者会見を逐一見ているわけではないが、2003年の事実に照らし合わせれば、火力発電所の復旧と同時に計画停電は終わる、という東電の会見はなされているのだろうか。

世論が原発のゆくえを案じ報道を見守る。その報道は原発問題と計画停電が同列かのように耳に入ってくる。マスコミは東電の原発事故処理を批判もするし、放射線漏れによる市民生活への影響なども報道する。そして同時にリストを読み上げるかのように計画停電をアナウンスする。市民生活に直結することであり、アナウンスせざるを得ない。すると、やはり原発問題と計画停電は同じ俎上にのぼり、両者だけが影響し合い、計画停電と火力発電所が見えなくなってくる。

”想定外”の津波、を繰り返す東電。だが、1号機から4号機までの非常用のディーゼル発動機が”低い位置”に設置されており、その全機が波にさらわれたのは、今回の津波が想定外だったのではなく、津波そのものが”想定”に入っていなかったのではないだろうか。だが、手厳しい世論を少しでもかわして逃げるには、常に災害を想定しているという姿勢を見せる”必要性”があったともいえる。また、東電がかけているであろう災害保険を考えると、保険金が降りるか降りないかは、かなり同社の経営にかかわる話だが、こういう側面もあるのではないか。

面白い記事を読んだ。今回の地震はマグニチュード8.4から始まったが、数回の変更後、最後は9.0になった。最初使われたのは「気象庁マグニチュード」。それが9.0の時点では専門家が使う「モーメント・マグニチュード」になったらしい。中部電力の浜岡原発は「気象庁マグニチュード」8.4に耐えられるというリポートがあり、そこから考えると、同じ8.4では”想定外”を使えない。もともと津波を想定すらしていないような東電が、実際に津波事故が起きた途端、今度は”想定外”を使って言い訳が通るようにしたのだと、そのリポートは伝えている。さもありなん、ではないか。

ちなみに、日本の電力、つまり「火力・水力・原子力」、この発電設備の電力容量を見ると、「火力・水力」の2つだけで総電力需用量を賄えるという。1965年からのデータを見ると、2001年が最大の電力ピークだったらしいが、その年ですら、火力と水力だけで賄える量だという。つまり、原発は使わなくとも問題はないということだ。

二酸化炭素を排出する火力発電はエコではないから原発。こうした図式で原発を推進してきた日本。だが、技術の進歩は火力発電の二酸化炭素排出を抑えてきていると聞く。しかし日本が取ってきた電力政策は、その技術をもっと推進させるのではなく、また太陽光発電や風力発電を優先させるのでもなく、とにかく電力は原発へ移行、という選択であった。

だが、原発推進は電力需要的な問題ではなく、政治的に問題があったのだろう。火力や水力よりも原子力発電所を活用する方向性は、40年以上も前の政権、自民党時代から綿々と受け継がれてきた国策である(あった)。原発推進は大手ゼネコン、政治家、官僚の懐を潤わせた。また天下りの裾野もかなり広げたと言われる。何故?答えは簡単。最近ニュースで耳にするようになった放射性物質の「半減期」。半減期が30年のセシウムで驚いたかもしれないが、核燃料に使用されるウランの半減期は数億年から数十億年。危険な物質であるため、原発は止めてもなお永遠に”管理”が必要になる。管理会社に天下ったならば、子や孫の代までも天下りをさせたいぐらいだろう。つぶす事の出来ない会社、倒産することのない会社に就職できたら生活は安泰なのだから。管理のための財政は、もちろん税金。原発は太陽光発電や風力発電よりもオイシイのだろう。

集団疎開を阻む遠慮SadSadEmbarrassed

*東京電力による計画停電のお知らせ
*いすみ市のウェブサイト

原発問題のある福島県、津波による被災問題がある宮城県や岩手県。両者では、集団疎開に関する住民意識が異なる。放射線漏れにより「現地に近寄れない」福島県、津波の沈静化とともに「現地に近寄りたい」宮城県や岩手県、という差である。

それでも宮城県や岩手県では集団疎開を推進する動きがあるが、避難所での集団生活を続けてきた中、その避難所から出ていくことに対し、人々の様々な思いが「賛成と反対」を大きく二分している。

まず、気兼ねや遠慮が疎開を阻む。自分だけが疎開することを申し訳なく思うのだ。避難生活では身体がもうもたない高齢者たち。また、自分自身は残って復興活動をと考えるが、子供の学校のことを考えるとそうは言っていられないと考える人。健康上の問題や学校の問題を抱える人たちは、最終的には疎開を選ばざるを得ないだろう。

だが、こんな遠慮もあるだろう。避難所の仲間を捨てて疎開などできないという強い意識である。安否不明の家族を探し続ける人もいる。夫が、妻が、親が、それぞれまだ見つかっていないのに、家族を置き去りにして自分だけが楽をすることなど考えられない、という人もいるだろう。また、仕事のことを考えると、まずはそこに残って活動をと考える人もいるだろう。避難所から一度出た人は受け入れないというシビアな方針を明確にしている自治組織もあるという。

現地に残り、そこで復興活動をすることが大切だと考える気持ちの中には、地域社会の分断や断絶を恐れる意識が働いているようだ。実際、阪神大震災の際には、こうした問題が生じたそうだ。高齢者などの弱者を優先的に仮設住宅に入居させたが、住み慣れた地域から離れた場所で近所付き合いもなくなり、病気への対応や介助も不足し、高齢者の孤立化が高まった。復興した後もその余波が残ったままだったという。

しかし、それでも集団疎開は進めるべきだと私は思う。県の職員らの説明が十分でなく、住民はそうしたことへの苛立を隠せないようだ。だが疎開の最大の目的は、「一刻も早い復興」であるはずだ。そのためには、身体的弱者らを安全なところに移動させ、子供たちを学校に通わせるなど、場所は違っても地域の人たちがなるべく「通常」の生活をおくること。それにより復旧作業も進め易くなる、ということだろうと思うのだが。

集団疎開する人、残って復旧作業にあたる人、両者がいてもいい。疎開に対し、気兼ねや遠慮で躊躇を招くのではなく、自由な選択ができる「雰囲気」づくりが必要な気がする。その上で地域社会の分断がないように、阪神大震災の教訓を活かすことはできないだろうか。

以前、公営住宅だけでなく民間アパートも避難民の受け入れをして欲しいと、このブログで書いた。地域社会の分断を避ける点では課題が残る。だが、地域コミュニティをサポートするNPO団体が震災後の阪神地域で活躍しており、その知識を借りて何かできないだろうか。

地域をどう区分するかにもよるが、町単位でいえば数千人が一単位になると推測できる。理想はその数千人が一つの建物で収容できることなのかもしれない。さいたまスーパーアリーナに移動した福島県の双葉町が良い例だ。だが、それが難しい場合は、どこか一つの町や市に全員が移動する。町、市の単位なら数千人の受け入れは問題がないように思うのだが。数千人をまた自治区単位でいくつかのグループに分け、公営住宅、民間アパート、一戸建てなどの空き家など、車で20分~30分圏内にまとまることができるよう、心がけて分散を避けるようにする。きちんと「新住民リスト」を作成し、リーダーや副リーダーなどを決めて組織化する。そして新住民同士が必ず行き交うことができるようなマップ作り、定期的会合を設ける。週に一度(数回?)、動ける人たちがバスで被災地に赴き、現地に残っている人たちとともに復興に携わる。被災地に残った人と離れた人が交流を持て、絆も深まる。また、元々そこに住む「旧住民」にも手伝ってもらい、一人暮らしの高齢者の見回りも行う。離れた地域で暮らしていても、地域住民同士の行き来があれば、復興後に地元に戻った際の団結心も高く、また高齢者の孤立も避けられるのではないだろうか。

ニュースから見える被災地の人々は、身体健康面よりも精神面での疲労困憊が感じられる。神経が張り詰めた形相の人もいた。現地に残る選択や必要性もあるだろうが、現地に残り続けることが「何か」を見えなくすることもある。離れた位置にいることが客観視を可能にし、別なる視点、新たな気持ちなどを生み出すこともある。何がベストの選択なのかはわからない。だが何よりも、心と身体を休めていただきたいと思った。

義援金の輪をHappyLaughWinking

*計画停電の詳細ブログ(身近なはずの自治体情報が充分でない場合に備え、しばらくは冒頭掲載)
いすみ市のウェブサイトによると、26日の今日、いすみ市は計画停電の区域から外れたとある。

レストラン、ショップ、会社内、人の集まる所は「義援金募金箱」の設置をお願いします。


被災地に向けた救援物資の運動、そして義援金運動が広がりを見せている。東京の友人は自らが現地入りしたケース。動きが迅速な彼女は震災後からすぐに救援物資を募り、自宅に宅配してもらっていた。そして数日前、宮城県支援のために現地入りした。原発を迂回し、東北道を通り、真夜中に現地に到着したそうだ。援助物資を下ろした後は津波被害の家の片付けに向かった。汗だく、泥だらけになりながらの作業だったが、物資のカップラーメンに深く感謝する避難民の姿を見ていると、もっともっと色々な支援を続けなくてはいけないと思ったそうだ。まだまだ現地では物資が必要であり、片付け作業も必要だと痛感したという。高速道路では警察からの特別車両許可をもらい、無料で通れたそうだ。ガソリンもどうにか入手でき、無事に帰宅したと連絡があった。

また、神奈川に住む友達夫婦の場合は、中心となって救援物資を集めている地域のボランティアグループに参加した。チャリティマーケットを近くの神社で開催。救援物資を受け付けた。物資は段ボール54個分にもなった。ヤマト運輸に支払う送料は、集まった募金で賄えたそうだ。友達夫婦にとって、実際に自分で動く支援活動は初めての経験だったそうだ。だが、「行動する」ことの感動があり、必要性を感じたという。帰宅後のビールはめちゃ美味しかったそうだ(笑)。

アメリカからは、女優のサンドラ・ブロックが100万ドルの寄付、歌手のグウェン・ステファニーも100万ドルの寄付。

東京、神奈川の友人のような行動的な支援を私は行っていない。まして、100万ドルをポーンと出せる身分でもない。でも私流には義援金をと考え、某団体を通じておくった。また、ディナーで出かけたお店で会計をする際に、義援金を”渡して”きた。その店にはまだ義援金箱はなかったのだが、店主が設置しようと考えているということだったので、先んじて手渡したのだが、「必ず設置してよね」という”脅し”の意味もある(笑)。

直接行動が苦手な人は、是非、義援金をお願いしたい。また、上記にあるように、ショップ、レストラン、会社など、人が集まるところに義援金箱を設置していただきたいと思う。善意の輪を広げたい。

世間話でひとやすみHappyWinkingLaugh

*計画停電の詳細ブログ(身近なはずの自治体情報が充分でない場合に備え、しばらくは冒頭掲載)
いすみ市のウェブサイトのデザインが新しくなった。また、計画停電情報も以前よりは良くなった気がする。しかし、引き続き、もうちょっと詳細な情報が欲しい。東電では、一つのグループをそこからまた5つに分け、もっと詳細で身近な情報を提供するという話。まだその細分化は発表されていないのか?そうしたことも身近な自治体のウェブサイトで情報提供してもらえるとありがたいのだが。

原発、被災地の事から離れ、今日は世間話を。世間話というよりも実は暴露話なのだが(笑)。

まだ30歳という若い女友達がいる。昨年、つき合っている彼氏を連れて遊びにきた。しっかりものの彼女を常々信頼している私は、さぞやステキな彼氏、絶対に素晴らしい人格の持ち主、などなど、頭もハートもポジティブ要素満載、いっぱい、パンパン、両手を握りしめ、その両腕を胸のあたりで左右に小刻みに振り、両足もウサギのようにピョンピョンという、かなりのワクワクはしゃぎっぷりはまるで小娘のよう(笑)。

まぁ、ここまでくれば「落ち」は見えている。そう、その通り、がっかり、だったのだ。悪人ではないが、かなりがっかり。これは今後の交際を阻止、万が一結婚なんていうことになったら絶対反対の立場に立たねば、など、様々なことが頭の中を巡った(笑)。

私たち夫婦は、実は彼女の両親と友達同士。でも、接し方は決して千葉のお父さんお母さんではない。私たちは完全に対等な意識で接している。彼女の両親と知己の仲で且つ同年代、その上で彼女と交流を持つ人たちは、どうしても「両親口調」になる。私たち夫婦はそれが全くないから一緒に過ごしていて楽しいのだと彼女の弁。ま、対彼女だけでなく、大人と認めた人には誰であれ対等に接しているのだが。

とはいえ、世代の差は歴然。彼女の若いノリにはとても合わせられない時もあり、そういうときはすぐに退散(笑)。また、彼女の親の世代同様、何十年も長く生きている分、人生の先輩から見ると30歳はまだ未熟さも垣間見える年齢。そんなこんなの、対等感覚、先輩感覚、これらを心の中で行き来させながら若いカップルを見つめていたのである。子供がいない私たち夫婦。その意味では「両親」の気持ちにもなった気がする。


年頃のお子さんを持つ両親は皆こういう思いをしていくのだなぁ、と、子供のいる友達たちを思った。ボーイフレンドやガールフレンドを連れてくる10代、20代になれば親たちもかなり目を皿のようにして相手を見入る必要が出てくるだろう。30代になれば結婚前提の相手が現れ、「目を皿」どころではなく、ほとんど相手を舐め回すかのように威圧し、「眼を飛ばす」、大阪では「メンチを切る」というような勢い(笑)。20代でも結婚は充分にあり得る話で、そうなると親の形相はかなり険しく、悪そうな雰囲気が漂う(笑)。

さて、かの二人だが、その後は特に進展はない様子。こちらも彼は元気かと聞く事もしない。こんなところから、なーんとなく彼女も、彼氏の点数が低かったのだと気づいているだろう。また、特に彼女からも彼の話を聞かない。ということは・・・・。

二人がこのブログを読む事になったとしたら、「ごめんなさい、そう思ったのよ」と素直に言ってしまうつもりだ(99%間違いなく読まないという確信は、実はあるのだが)。また、知らないうちに交際が脈々と続いていて、結婚という選択が二人の中で決定づけられたとしたら、最終的には賛成しよう。もっともっと「人を知る旅」をして欲しいという本音をごくっと呑み込もうではないか。ふぅー。

のど元を過ぎても”原発”忘れずHappyFoot in MouthHappy

*計画停電の詳細ブログ(身近なはずの自治体情報が充分でない場合に備え、しばらくは冒頭掲載)
いすみ市のウェブサイトによると、本日3月24日、いすみ市は計画停電区域から外れた、とある。

福島原発の問題は、核燃料プールや炉心を冷却するための放水作業だけに止まらず、圏外であったはずの近隣の農業、東京の水源にまで及んだ。問題は通常より高い放射性物質が検出されたこと。「ただちに健康を害する事はない」、この「ただちに」に苛立を感じた人も多いだろう。ただちに、ではないなら、1年後は、3年後は、10年後には何かが起きるのか。また乳児は避けた方がいいというが、小学生児童ならいいのか、20代のリスクは、40代は、などなど。東電や政府のアナウンスの曖昧さに憤りを示す人は多い。

だが、信用ならないと疑心暗鬼を増幅させるのではなく、報道される内容を信じ、あまり神経質にならないよう心がけることも大切だと感じる。こうした不安は、たとえ科学的データを示して「安心ですよ」と伝えたとしても完全に不安が消えるものではない。経験したことのない不安の中では、人が合理的な結論に基づく行動を取るのは難しいものだ。

しかし、人は必ず何かを信じ、何かを選択し、そうして生きて行く動物である。近隣の小児科の医師を信頼しているなら、医師のアドバイス通りにしよう。このニュースキャスターを、この番組報道を、この新聞を、このサイトを、それぞれ信じるなら、その通りにしてみよう。多くの報道を比較し、咀嚼し、その上で判断するもありだろう。

朝日新聞の声欄の一つを紹介する。千葉県松戸市に住む76歳の男性。「自分の年齢を考えると、今後汚染された野菜を食べ続けても10〜15年。また癌にかかったとしても末期に至るまで何年もかかる。出荷停止の作物は購入できないから、せめて風評被害の農産物を購入し、何の落ち度もない農家を泣かせない道を選びたい」という。尊く心優しい一つの選択である。

「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という諺がある。苦しいことも過ぎてしまえば簡単に忘れてしまうということの喩えだ。原発の問題に関して言えば、今はまだ「のどの途中」だろう。さすがに全てが沈静化してもすぐに忘れるという問題だとは思えない。だが、電気に依存する我々の生活という大きな側面を忘れてはいけない。経済を立て直すため、企業が工場が、家庭が、というようにあらゆる場所で、「目先の電気」を求める声が上がり続ける。計画停電を永遠に続けるというわけにはいかない。

福島第一原発が廃炉になることは間違いない。”安心”とともにその電力不足をどこで補うのか。不足している状況で、全国各地の原発を止めることはできず、まだまだ短期的には原発依存は続く。短期的とはどのぐらいの期間なのか、それもシミュレーションすべきだ。

長期的となると、これは多くの人が思う(願う)太陽光発電や風力発電などの代替エネルギーが登場することは間違いないだろう。日本は風力発電に適した国だというデータがあると聞く。進まなかった理由は原発推進派が勝利したからなのか?耕作放棄地も多い日本に太陽光パネルを設置したらどうかという提案もなされている。

だが、自然エネルギーだから「安全」だとは断言できない。風力発電の羽?が回転する際の独特の周波数音により、めまいや激しい頭痛などに見舞われ健康に害を及ぼした地域もあると聞く。

それでも原発と比較したら何兆万倍もの「安心感」がある自然エネルギー。設置計画の際にはこうした諸問題を回避できるようにプランニングしなくてはいけない。これまた「未経験」なことだからこそ、かなり長期計画にならざるを得ないように思う。

私が懸念するのは、その「長期間」における人々の感心度合いだ。長い間、原発が「問題もなく」動き続けると、人々の間から「2011.3.11」以降の恐怖の記憶が薄れて行く怖れがある。「長期間」の間には、政権が変わることもあるだろう。また、「長期間」の間には、自然エネルギーという理想のエネルギーであるにもかかわらず、企業や政治家の利権争い、進展しない設置地域に関する議論、こうしたことが起きるかもしれない。遅々として進まぬ自然エネルギー計画に業を煮やし、自然エネルギーですら利権争いなのかと呆れ返る人々が増えれば、その間ずーっと人々の電力需要を支えてきた原子力発電への不安は減少の一途を辿り、「まぁ、このままでもいいんじゃあないか」となるやもしれない。

それでもどうにか太陽光発電、風力発電は数カ所に設置されるかもしれない。だが、これらで全てを賄うことはできず、原発依存は引き続く。今のこの気持ち、つまり原発はノー、という強固な姿勢を長期的に貫かない限り、自然エネルギー(水力発電、火力発電も加えるべきか?)で賄う日本という図式は成立しない。果たして、原発をゼロにしたエネルギー計画は可能なのかという、基本のシミュレーションも必要だ。

そして地震大国日本。どこでまた大きな地震や津波が起きても不思議のない国。原発は全て海岸沿いにある。地震が起きないと言われる地域であっても、スマトラ沖の津波のように、遠い場所で起きた地震の余波が津波で現れることもあり得る。福島原発問題は想定外の津波が原因だった。自然災害を「想定」することは不可能だと知らされた気がする。

未来を考えると、原発依存を止めにしたいと願う気持ちから、まだまだ「のど元の途中」ではあるが、敢えてこの段階で原発認識をしておきたいと考えた。「ノー」を突きつけるモチベーションを維持するためにも。

東京圏一極集中の問題SadHappyEmbarrassed

*計画停電の詳細ブログ(身近なはずの自治体情報が充分でない場合に備え、しばらくは冒頭掲載)
いすみ市のウェブサイトによると、本日22日のいすみ市の計画停電は中止となった模様。

今回の原発問題により、スイス、フィンランドなどが大使館機能を東京都内から移転させている。移転先は大阪や広島など。一時的な移転、永遠の移転、両方があると漏れ聞く。大使館だけでなく、企業もまた東京から本店を移転させる動きがあるようだ。多くは外資系企業のようだが、日本企業にも動きがある。

個人的にはとてもよいことだと思う。そもそも、東京圏の一極集中自体がよくないと感じるからだ。

東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の人口合計は約3,535万人。日本の人口の3割弱を占める。地図の赤い部分は、一都3県の中で人口密度が高いと思われる地域を勝手に囲ってみたもの。埼玉県も神奈川県も一部はそれほどの過密はない。また私が住む千葉県は面積こそ広いが、人口分布は南北格差でも存在するかのように極端である。通常、群馬県、栃木県、茨城県を含め、関東地方は一都6県で示されるが、そこまで範囲を広げるまでもなく、全人口の約3割弱はこの赤い部分で表せると思う。

皆さんはこれを見てどう思われるだろうか。国土全体からいえば3%程度の面積に人口の3割が暮らしているのである。少々異常な気がするのは私だけだろうか。

先進国の都市の中で人口密度が一番高いのは「東京圏」である。ニューヨークでもなく、ロンドン、パリでもない。また、先進国が首都を置く都市は、大都市圏とは限らない。アメリカ、ドイツなどがそうだ。イギリスのロンドン、フランスのパリ、というケースはあるが、どちらの都市も中心から少し離れればそれほど過密はないと聞く。

今回の震災は東北が中心だった。だが、主要なモノ、コトが集中する東京を中心とした第二の「関東大震災」が起きたらどうなるのだろう。耐震構造でない古いビルの倒壊は?耐震構造の新しいビルであったとしても、今回の津波のように”想定外”の地震という可能性は?火災は?帰宅難民は今回の比ではないだろう。いや、それよりも、インフラがダウンし、国の司令塔であるはずの国会、総理大臣、マスコミ、こうしたブレーンによる記者会見すら実現できず、全国民はごま塩模様のテレビ画面に見入り、シャーとなり続けるノイズに耳を傾ける。こんな状況に陥るかもしれない。

リスク分散、リスク管理、こうした観点からいうと、首都移転も考えてみる段階のように思う。

授業で学んだお手本のような国ドイツ(学んだ当時は西ドイツ)。ドイツの都市づくりは、都市圏を7〜8つに分け、そこに企業も均等に分散させた。必然的に人口も分散される。首都はボンで、ある意味ごく普通の都市。現在の人口を見ても、ブレーメン、デュッセルドルフ、ドルトムントなどは、60万人前後の人口で均等さを保っている。ミュンヘンの130万人、ケルンの99万人、東西ドイツ合併後に首都となったベルリンは343万人と多い。だが、もっとも多いベルリンの人口は、千葉県の半分強、東京都の3割にも満たない。人口密度に至っては東京23区の過密とはかなり差がある。

東電は保養所を避難民に開放すべきSadAngryHappy

*計画停電の詳細ブログ(身近なはずの自治体情報が充分でない場合に備え、しばらくは冒頭掲載)

福島原発問題のため、町ごと避難した双葉町。1,200人が大型バスで埼玉県の「さいたまスーパーアリーナ」へ。移動の模様、受け入れを感謝するシーンが映し出されていたが、アリーナでの受け入れは今月いっぱいだという。あと、たった10日だ。その後はどうなるのかを誰もが不安に感じているようだった。

ところで、東京電力は自社が保持する社員向け「保養所」を避難民の方々に開放しているのだろうか。そうしたニュースは聞かない。あの東電である。既に行っていたのなら、とっくに”宣伝”しているだろう。

さっそくグーグルで検索してみた。私と同様の思いをしている人も多く、「東電は保養所を開放せよ!」といった旨を訴えるサイトがずらーっと並んでいた(嬉)。

そして、気になる保養所関係。

神奈川県大磯町東小磯227。旧徳川義禮邸跡だということだ。2010年5月時点では使用されていないとある。


神奈川県鎌倉市由比ケ浜4-10-7。東京電力健康保険組合鎌倉荘。


新潟県柏崎刈羽発電所敷地内。東電社員用の豪華保養所「東友クラブ」と書いてある。原発敷地内ということで、避難民の方々の中には嫌悪を示す場合も想定できるが、そうでない人たちに提供すればよい。写真は、左上が和室、右上が会議室だそうだ。

また、今回の原発問題は、単に東京電力だけではなく、電力グループ8社全体の責任と考えて被災者の救援活動に加わるべきだ。豪華ホテル並の保養所、またグループ8社が持つ全国の健康保険組合関係の保養所、福利厚生施設は、かなり多数あるのではないだろうか。それらを全て避難民の方々に譲るべきではないか。


東京電力グループの事業が載ったサイト。気になる箇所を赤で印をつけた。484の”施設”の内、被災者たちに提供できるところもあるのでは。また、学生用賃貸マンションなるものを運営しているらしい。そこに空室はないのだろうか。これを電力グループ8社で考えたら、かなり多くの施設が”利用可能”なのではないか。

インターネット時代の良さは、こうした声を瞬時に表明できること。そしてこうした「正義の和」はすぐ広がりを見せる。豪華施設の存在はすぐさま暴露される。ビジュアルも訴求効果抜群だ。施設内の豪華な調度品や家具の写真が公表される。隠蔽体質の東電であっても、こうした事実は隠し立てできない。そしてこうしたネットの情報により、「非人間的企業」は一気にバッシングを受ける事になる。

東電の社長、副社長の会見を見たとき、彼らはこうした時代の潮流を理解していない様を如実に感じた。何故なら、彼らの答弁は全く謝罪しているように聞こえないからだ。敬語を使い、一見丁寧な言葉で話していても、肝心な謝罪の心が伝わってこない。計画停電に関して会見した副社長の物言いは、原発問題の責任を感じている雰囲気ではなく、しかも節電は市民の義務という強い口調であり(当然義務でもあるが)、節電に協力を求めるという姿勢ではなかった。

ニコニコ動画というサイトがある。NHKテレビを生放送で映し出している。パソコン上でテレビが見られるというわけだが、画面の横にコメントがライブで流れる。ツイッター式の短いコメント。東電社長、副社長の記者会見の際、コメント欄は怒りが爆発したかのように、東電トップへのバッシングで埋まった。「ちっとも謝っていないじゃん」「社長も副社長もクビだ」などなど。東電さん、少しは空気を読みましょう。

自治体は計画停電の詳細を報道してSadFoot in MouthHappy

もしかしたら多くの人たちが既に知っていることかもしれないが、未だという方のために計画停電についてお知らせしたい。というのも、いすみ市は計画停電上では第一グループに入っているが、計画停電になる区域はいすみ市内であっても分かれる。暮らしている側としてはその詳細こと知りたいところだが、防災無線でもいすみ市のウェブサイトでもそれらは明示されていないようだ。


まず、東京電力の該当ページへ。赤丸で囲ったところをクリックする。


まず、お勧めのグーグル。上記の地図が出る。赤い部分をクリックすると、送電所か何か、そのエリア名に属する地域名が出る。第一グループのいすみ市でも、計画停電外の区域もある。いすみ市管内でこの日の区域はかなり多いが、昨日のいすみ市計画停電区域は、岬町中原、岬町椎木、岬町和泉、この3箇所だけだった。赤い印は無いに等しかった。

*本日19日の計画停電は中止になっていることは付け加えておく。


次にPDFによる区域リスト表示。ここに先の、「送電所か何か」と思われる区域名が出てくる。ここまでリストアップされれば、自分が住んでいる区域がどのように計画停電に組み込まれているかを把握でき、危機管理もしやすい。昨日の話にちなんで言うならば、昨日のこのいすみ市のリストは3行で終わっていた。


最後にヤフー。左側にグループごとのボタンがあり、そこをクリックするのだが、いすみ市はひとくくりになってしまうため、グーグルのような詳細はわからない。だが、こちらも何らかの目安にはなる。

また、それぞれのグループをクリックしてみると、なるほどという当然のことに気づく。電力消費量が多いのは東京のベッドタウン。つまり、”自虐的”に言うところの「千葉都民」、「埼玉都民」と言われる地域。神奈川都民とは言わないようだが、こちらも入る。東京を中心としたドーナツ現象の都市部は東京のベッドタウン。たとえば人口の多い千葉市は複数のグループに属しているが、いすみ市は一つだけ。岬町だけでいえば人口は15,000人程度。昨今流行りの高層コンドミニアム(日本ではマンションと言うらしいが)一つに充分入りきる人口とも。人口密度の高い都市部を計画停電する方が電気量の確保は簡単。人口の少ない区域でももちろん電気量確保に役立つのは間違いない。やはり痛みは等分に分け合うべきでもある。

しかし、残念なのは、いすみ市役所のウェブサイトにこうしたリンクが載っていないことだ。こうした異常事態が生じた場合、生活をしていく上で市民が知りたいことは、まずこれではないだろうか。今回の震災で役所の皆さんも色々と忙しい対応を迫られていることだろうとは思うが、一番身近な存在である市民が知りたいこと、その情報について知らせるためのリンクを貼ることはそんなに難しいことではないはずだ。

心も時々一休みHappyLaughWinking

テレビ報道を見すぎず、心の平穏を保つ。

社会科学の学術用語の一つ、「主流形成効果(mainstreaming effect)」。かなり簡略化して言ってしまえば、これは「テレビによる画一性の情報に依存する”一般大衆”」ということになる。

もう少し長めに言うと、「テレビの高視聴者である”一般大衆”は、ますますテレビ情報に依存し、同一の現実認識がより培養されていく」、という雰囲気の意味になる。

少し異なった言い方をすると、「テレビ情報依存度が高い”一般大衆”の社会的経済的”地位”は似通っている(ばらつきが少ない)」となる。

この用語が意味する中身は、”一般大衆”を愚弄し、大衆を一つの鋳型に当てはめてしまおうとするステレオタイプ、偏見にもつながるものであることは間違いない。実際は、これに様々な条件を加えて調査研究されるものなので、極論はできない。

だが、これを今回の震災や原発の問題に重ねて言うなら、これらはどの放送局でも報道されている。五十歩百歩、異口同音に近い報道をどのチャンネルでも放送。これにすっかり浸ってしまう人の心理効果を考えると、主流形成効果を否定はできない。一面の真理とも。

もちろん、報道自体は必要だ。だが見る側の構えとしては、見過ぎることによって不安を増幅させることは避けるべきだ。ストレスもたまるはずだ。適度に情報を確認する、このぐらいでどうだろう。被災していない側が病に倒れるようなことがあれば、それは被災地の方々に迷惑をかけることにつながらないだろうか。

家にいる人なら、読書時間を増やす手もある。また、以前もこのブログで伝えたが、
ダウンロードによる映画レンタルという手もある。電車もガソリンも使わず、家にいながらにしてできる作業。計画停電外の時間帯で行えば良い。そのぐらいは許されるのでは。

食料、水、必需品は被災地に優先でAngryFoot in MouthSad

皆さん、食品、水、トイレットペーパー類、その他の生活必需品の買い占めは止めましょう!

被災地で避難生活を余儀なくされている人たちに生活物資を優先させるべきです。

消費者庁の各省担当者向けの会議の席で蓮舫大臣が以下のように語っています。「買い占めとしか考えられない状況があり、被災地にまわる物資がなくなる可能性がでてくる。冷静な行動をとって欲しい」。

東京の友達などからも、”欲深”な買い物客の話を聞いています。スーパーを経営している人ですら、こんなに買い占める人には売りたくないと、拒否寸前の怒りを話していたと言っていました。

もちろん、食料品を買ってはいけないと言っているのではありません。誰にもそれぞれの生活がありますから。ただ、必要不可欠な食品を購入の際、たとえば2つ欲しいという気持ちを抑えて1つにする、これだけでも違いが出るのではないでしょうか。次の人に譲る、そういう気持ちを持って欲しいと思います。かくいう私も、あまりにもがらんとした冷蔵庫内を見て買い物に出かけました。レジでは30分ぐらい待つ状況。かなり”欲深”な人たちも見ました。私が全く欲深でないとは言いませんが、”浅ましい”人間にはなりたくないと思いました。

物資はふんだんにあるのです。ただ、今回の地震と津波によって物流に問題が生じているのであり、少しずつ、全てが回復してくると思われます。

昨日のニュースを見ていましたら、3時間位の計画停電に対し、「暗闇の中でどうやって過ごすのかと思うと恐ろしくてなりません」と言い、”買い占めた”らしき電池と懐中電灯を手にしている女性(東京)が映し出されていました。まるでこの世の終わりかのような表情なのには呆れ返ってしまいました。3時間程度です。リビングで一つだけキャンドルを灯し、お子さんに絵本の読み聞かせでもしてあげたらどうでしょうか。或いは、キャンドルでロマンチックディナーと称し、楽しく過ごすことを考えてみたらどうでしょうか。私が住む家は夜になると真っ暗になり、夜空の星がとても奇麗に見えます。東京という場所であっても、もしかしたら本当の星空が楽しめる、そんな3時間になるかもしれません。そんなふうに前向きに考えて欲しいと思いました。

我々東京や千葉(一部避難している方がいますが)の”苦難”と被災地の方々の”苦難”は全く比較になりません。東京や千葉は安全圏にいるのであり、パニックに陥ってはいけないと思います。

もう一つ、これはかなり理想主義に過ぎると指摘されることかもしれませんが、避難民の方々の今後について私なりのアイディアがあります。

避難民は現在40万人位でしょうか?その方々の中から家が倒壊してしまった人がどのぐらいいるのかわかりませんが、全国各地の民間アパート、公営住宅などで暮らしてもらうということです。東北のどこかの自治体が、空いている公営住宅への移動を申し出たというニュースは見ましたが、たった一つでは足りません。これを全国展開するのです。

ただ待っているだけでは申し出があるという保証はありませんし、公営住宅だけに頼っていても数が足りません。そこで、民間のアパートなどにも協力を要請するのです。避難民を引き受けた民間アパートには、その家主に対し、国が何割かの家賃を支払い、残りに関しては税金面での控除という利益を与えるなどが考えられます。

大都市を除けば、全国各地域の、特に市町村レベルでのアパートに空き家がないとは思えません。全国の市町村の合計は1700位ですが、これは平成の市町村合併後の数字であり、合併前の市町村は3400位あり、町村だけでも2700位あります。単純計算で、40万人全員を全国各地に避難していただく場合、一自治体に118人位となります。最多で118の空き家を探すことはそれほど難しいことではありません。入居者が決まればアパートのオーナーは即座に家賃収入が確保でき、税金面での利益が約束されるのです。

今、避難民の皆さんに必要なことは、早く「普通」の生活ができることだと思います。避難所で長引く生活は心身ともにいいことはありません。今後、政府が作るであろう仮設住宅ができるまでどこかよそで暮らすのです。自分たちが暮らしていた所とは全く異なる自治体に行く不安もあるかもしれませんが、被災していない地域の人たちに暖かく見守られ、仮設住宅まではストレスもなく、食料も潤沢で、お風呂にも入れて、という、そういう生活をしていただくべきではないでしょうか。

各自治体、各アパートでの避難民の方々の人選はそれなりに大変な作業でしょう。家族構成、疾病の有無、ペットの有無など、色々な条件を考えた上で対応側のアパートとの組み合わせのシミュレーションを図らねばなりません。でも、そんなに難しいことだとも思いません。

今後も、どんな災害が日本を襲ってくるかはわかりません。でも、日本国土を一気に攻め立てる災害でない限りは、台風にしても、地震にしても、津波にしても、被災した地域よりも被災しないで済んだ地域の方が”多い”と思うのです。そうしたときにこのようなアパート受け入れ体制が仕組みとして整っていれば、避難生活は数日で済むのだという安心感も生まれるのではないでしょうか。

今一番怖いのは、原発ですね。高い授業料という言葉は相応しくないぐらいの犠牲を払っている現状があると思いますが、これは、今後、私たちがどういう電力供給を選択していくのかを突きつけられているのだと思います。ちなみに、今回の福島原発の事故を受け、スイスは予定していた原発計画を廃止、ドイツもほぼ同様の考えを示したということです。

祈り、そして未来へのEmbarrassedGaspHappy


東北関東大震災。もうこれで名前が決定した様子だ。マグニチュード8.8が上方修正され、9.0となった。チリ、アラスカ、スマトラに継ぎ、4番目に大きな地震だそうだ。未曾有の天災とそれによる大惨劇。ライブで流れる津波の猛威に目を塞いだ人もいただろう。家、車、船、そして移動中の車を飲み込むシーンもあった。

富山を始めとした日本国内、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスなど、親族友人知人皆から連絡をもらった。ここ千葉県外房地域も、当初は10メートル級の津波が予測されていたが、実際にはそうではなかったようだ。海岸沿いに住む友達たちがいるが、知っている範囲内では誰も避難はしていなかった様子だ。地震の揺れは長く、これまで経験したことのない恐怖を味わったが、幸い倒れて落ちたものはファンデーションのチューブ程度。

今回、色々なチェーンメールが行き交っているらしく、枝野官房長官が根拠の無い情報に耳を貸さないよう注意を呼びかける記者会見があった。

私が受けたのは2種類。一つは「化学薬品の雨」。市原のコスモ石油爆発により、化学薬品も流れ出、化学薬品が雨に混ざって降ってくるということで、傘やレインコートを塚用にという注意。

もう一つは、「停電」。東京電力の発電所が止まり始めているため、関東一帯で停電の可能性があり、早ければ3月12日(日)の夕方から始まる。風呂に水を貯め、飲料水を用意し、ロウソク、懐中電灯、携帯の充電など、準備すべきことを示唆したもの。

化学薬品に関しては、ウェブニュースなどでも直接名指しで「誤り」を指摘している。停電に関しては昨日あたりから、新聞に載り、夜には経済産業大臣の発表、また東京電力自らの記者発表により、「輪番停電」「計画停電」という方法が示された。

では、化学薬品の雨はインチキだったが、停電はホンモノなのか。イヤ違う。停電のチェーンメールは公に報道がなされる手前で送られてきた。準備すべきことが書かれているが、どのような停電なのかを示していない。そのため、備えに対するアドバイスの詳細が、逆に不安を倍増させる。風呂に水を貯めておかなくてはいけないぐらい長期間の停電なのだろうかとか、飲料水を買いだめしなくてはいけないだろうか、冷凍庫のものはダメになっていくから、保存食品を買いだめしておかなくては、などなど。

これでは恐怖を煽るチェーンメールだ。記者会見で明らかにされたのは、計画停電は3時間ぐらい。電力の大型利用者である企業、そして一般家庭。支障が出ないよう最小限の範囲で計画停電を負担してもらう旨の話だった。地域ごとに分け、3時間ぐらいずつ停電を覚悟してもらう。これならそれほど不安はなく我慢もできるのではないだろうか。そしてさっそく今朝は、JR東日本の鉄道がこの計画停電に伴い、いくつかの路線が運休になった。内容を知る「前」と「後」では全く不安の”量”が違う。

このチェーンメールの一番の問題は、メールの差出人が常に「信頼のおける人」であることだ。仲良しのKちゃんから、P君から来たメール。KやPも信頼できるDやTからもらい、DやTは信頼できるWやO、WやOも信頼できるYやE、そしてまたその先をたぐっていくと、全員が信頼できる人からの発信となり、当然それを信じ、別の友達たちにその情報を伝えようとする。でも、「最初」にはなかなか行き着かない。

そしてその「最初」の人にまつわる”肩書き”。「友達の父親がコスモ石油に勤務」、「茨城県原発研究員義兄」、「東京電力に勤務する親戚」などなど。その”当該企業”に勤務する情報提供者を示すことがミソ。すると、メールをもらった時起こる心理は、常日頃から信頼をおく友人知人からの直接のメールであるため、「コスモ石油に勤務する友達の父親」「原発の研究員義兄や親戚」、この「最初」の情報源と信頼できるメール送信者との間にあまり”距離”を感じなくなるということ。極端にいえば、「コスモ石油勤務の友達の父親」とは、メールを直接くれた信頼できる友人知人自身の”友達の父親”、或いは”義兄”や”親戚”なのかもしれないと思うのだろう。

過去にはこんなことがあった。不足はないにもかかわらずトイレットペーパーを買う人たちが溢れかえり、あちこちで品切れとなった第一次オイルショック(40年ほど前)。こんなことにはなっていないと信じるが、公にされた計画停電発表のどのぐらい前からこうしたメールが始まっていたのか。その時期によっては、ペットボトル水や保存食品などが売り場から消え去ることも考えられた(どこかでは起きていたかもしれないが)。

なかなか明確にされない福島原発爆発の記者会見に苛立を募らせ、政府は信用ならないと思った人も多いだろう(本当は信用ならないのは東京電力側だが)。だから、なんのアナウンスもないままいきなり停電になることや、化学薬品の雨も降るかもしれないと、そう感じた人もいるのかもしれない。でも、こうしたことこそ冷静になって考えてほしい。「確からしさ」を。

日本ではあまりの惨事が続出した時、「年号」までも新しく変えて再起を図った時代があったそうだ。何かの番組で評論家が話していた。経済低迷を始め、内外に多くの課題を抱える日本。今回の惨劇は目に見えぬ力からの”試練”なのだろうか。試されているのなら、皆で手を取り合い、自分に出来る事を考え、小さくてもいいからそれを実行して行く。これが大切なのではないだろうか。つまりそれは、冷静になり、想像力をめいっぱい働かせ、考える力を養うこと。
「無知の知」を説いたソクラテスに倣い、肩の力を抜き、謙虚になり、見る目を養おう。

最後に、この天災により亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。そして、避難場所で不安な気持ちを抱えながら過ごしている皆さんが一刻も早く、これまでの生活に戻れるよう、心から手を合わせる。

マックス・ヴェーバーは一人だけWinkingHappyLaugh


明治大学リバティタワー

「明治大学、一般入試志願者数2年連続トップ、早稲田を抜く」。こんな見出しが新聞を賑わせている。

この見出しが意味するのは、大学の生存競争が激化していること。少子化時代である。どの大学も学生争奪合戦に血道を上げる。明大の勝利は、イメージチェンジと入試スケジュール戦略らしい。イメチェンは言うまでもなく、ごつさのイメージを払拭ということ。新キャンパスの設置は、男臭いイメージの明大を変え、女性志願者増を促した。入試スケジュール戦略は、たとえば学部によっては6回も合否判定を受ける事ができる制度にしたそうだ。

有名校の中では中の上か上の下あたり(たぶん)に位置する明大。志願者数が多くなる理屈はちょっと考えてみればわかる。少子化により「大学全入時代」が到来してきている。高難度で高偏差値だった大学にもトライしようとする学生が増えるのは当たり前。就活も考えると、知名度の高い大学に入った方が良い。そういう心理的流れが有名私立大学志望に拍車をかけている。志望校を極端に上げるのではなく、偏差値を見据えながら、ほんのちょっとのボトムアップ的背伸び。そうなると、超難関大学は無理だが、ちょっと上には何があるかを学生は見る。明大ならイケるかもしれない、という心理。こういう層は真ん中あたりだからこそ多い。これが図式ではないかと思う。だが志願者数で早稲田を抜いたからといって、偏差値で早稲田を抜いたわけではない(偏差値という言葉はあまり好きではないが)。このボトムアップは、下位に位置する大学の危機を招くことになるだろう。これが少子化による全入時代の正体だ。

ところで、大学に上下を付ける点でよく持ち出される「世界大学ランキング」。よく、日本の大学は世界的には低いと批判を浴びる。2009年度を見ると、ハーバード、ケンブリッジ、イエール、オックスフォードなどが名を連ねる。先進国の仲間入りをしている日本だが、22位でようやく東京大、25位に京都大、43位に大阪大、55位に東工大、と続き、私立大のトップはようやく142位で慶應、148位に早稲田が出てくるという様だ。

うむ、これはイカン、のだろうか。これもまた違うと言いたい。ランキングを調べるのは誰か。英語圏の調査団体が、英語によって提出された論文を検証する。日本語でどんなに優れた論文があっても見向きもされないのでは、これはフェアとは言えない。また一方では、国際舞台で勝負するなら英語で提出せざるを得ない、これまた事実である。ノーベル文学賞を獲得するには、日本語の小説を英訳出版しておく必要があるのと同じだ。「言語が変わると文学の本質が伝わらない」などと息巻いて英訳を拒んだら、日本語で書かれた作品を誰も評価の対象にはしてくれない。 日本の大学における英語教育のジレンマはここにあり、それが遡って小学生英語教育に達する。

先の明大の記事。小さな囲み記事でも良さそうなものを新聞夕刊のトップで飾り立てることに憂いを感じる。問題点も指摘しているが、どうも数が躍り出ているせいか、 煽っているようにも見える。 これにより、明大を習い早稲田も巻き返しを図ろうとするだろう。全国に私立大学は約600。少子化とともに、近年では主要私立大21校への志願者数が半数近くを占めるそうだ。立教も入試改革でかなり志願者数を増大させたらしい。先のボトムアップ心理は今後も加速するだろう。そしてその結果、600の大学の内、多くの大学が存続できなくなっていくのだろう。数の問題よりも、受け皿である大学の質の向上こそ優先順位のトップであるべきだ。何故なら、大学は学問の府であり、生徒に学問を教え、学ばせる場所なのだから。

学ぶ場、それを忘れてはいけない。極論すれば、どの大学でも同様のことを学ぶことはできる。たとえば、社会学や経済学で絶対に学ぶことになるであろうドイツの学者「マックス・ヴェーバー(1864〜1920)」。テキストとしてヴェーバー著が使われることは自明であり、ならば明大でも早稲田でも東大でも同じことが学べる。もちろん、指導教授によって視点の置き方が異なるが、著作物は変わらない(あの名物教授に習いたいからあの大学に入るというケースもあり、そういう意味での大学選びは大切だが)。

とにかく全入時代を喜ばしく受け止めよう。日本の大学進学率を振り返ると、戦前は限られた人しか大学教育を受けられなかった。大学教育が”一般化”されたのは戦後すぐではなく、どちらかというと比較的最近だと言わざるを得ない。進学率は1954年、全体で7.9%。男性が13.3%、女性に至っては2.4%。女性が10%台に達したのは1974年だが、それでも10.6%で、男性は35.6%、全体では23.4%。女性の20%台突入は1994年に入ってからで、21%。男性は38.9%で、全体では30.1%となる。翌年にはインターネットの時代が到来するという時ですらまだこの率。決して高いとは言えない。そして現在では5割に達しており、先の少子化よろしく、これからもっと増え続けるだろう。もっと進学率は上がっていいと思う。

先のマックス・ヴェーバー同様、「学問」そのものはどの大学であっても変わらないはずだ。法学でも文学でも、その学びの登竜門となるテキストはかなり”共通”する。異なったテキストが使われたとしても、学問には必ずそれが積み上げられてきた歴史があり、それは必ず通らなくてはいけないのだ。ソクラテスやアウグスティヌス、ヘーゲルやカントが哲学から外されることがないのと同じだ。だから、どの大学ということにこだわらず、自分はそこで何を学ぶのか、これに集中して欲しいと思う。一つ一つの学問その基本をしっかりと読み解いて自分のものにすることが大切だ。そして、その中から自分が興味をもつことを重点的に学んでいけば、おのずと方向は定まってくる。大学生が学問の素晴らしさを享受でき、真に学びたいと思えるような大学づくり、これこそ求めたい。

本題とはかなりずれた話だが、私自身、数年前に明大で図書館司書コースを受講した。そのときあまりの変容ぶりに驚いた。この大学で学んだ友もおり、昔の姿を多少なりとも知っている私としては、あの雑雑としたキャンパス内にデモのビラが散らかって風に舞い、「来たれ!」で呼びかける墨汁書きの紙が貼られた古い木製看板、バンカラタイプの男子たちが風を切って歩く雰囲気が好きだった。社会(大人たち)に向き、声のあらん限りに”生きる意義”を訴え続けた”男子”たち。その魂の上にあの新キャンパスがそびえ立ったのかと思うと、何か故郷が取り壊されたような思いになった。無情にも流れた長い年月を強く感じた。カフェテリアも高層ビルの新キャンパスにあり、東京を見下ろしながらのランチが楽しめる。味はともかく(笑)、もう”学食”とは呼べない雰囲気だ。あの時の色も匂いももうないんだなぁと、なんだか寂しくなったものだ。

手前味噌「第7期生」LaughHappyWinking

今年も味噌を仕込む季節になった。理想は2月なのだが、3月でもオーケー。そして今年も「味噌教室」の様相。

今年は「第7期生」。数年前に知り合ったYさん。作業をしながらお互いの近況のキャッチアップはとても楽しい。いつもは途中経過などを写真に収めるのだが、お喋りに花が咲き”過ぎ”、写真を撮り忘れてしまった(笑)。

仕方が無いので、今回は2010年3月仕込み(向かって右側)と2008年2月仕込み(左側)の写真を載せることに。瓶から取り出し、普段使い分をタッパーに入れたもの。熟成が進むと色がとても濃くなる。味噌は生き物なんだなぁとつくづく。指に取って舐めてみると、なんとも芳醇さと甘みの深い味わいが。2008年ものは完全に出汁は要らない美味しさ。夏はキュウリをこの味噌につけてパクパク食べるつもりである。2010年ものも決して”若く”ない。実家に伝わる味噌レシピでは、糀が通常の倍のため、甘み、旨味が強く、珍重される”3年味噌”を待つまでもない。まぁ、こういうふうに家の味噌を自慢したくなるのも、確かに「手前味噌」の語源になる所以である。「Yさん、来年の今頃、瓶のふたを開けたら、手前味噌の意味を実感することになりますよ(^^).。」

味噌教室をやっているわけではないけど、こうして時々実習のカタチで行う機会が訪れる。私自身が味噌作りを話した事もあるが、どこかで、誰かから聞きつけ、「次のときお願いします」ということもある。実は、既に来年も決まってしまった。パソコンのカレンダーにスケジュールをインプットしておこう。