不快な”ありがとうございます”SadFoot in MouthEmbarrassed



本日のブログ。「怒りが」のカテゴリほどではないし、かといって「不満が」とも少々異なる。「考える」が比較的近いかということでこれに決定。本当は「苛立が」あたりを作ればいいのだが、件数があまり増えなさそうなカテゴリを作るのもどうかと考え、こちらは思いとどまった。

さて本題に入る。タイトルの通りだが、「ありがとうございます」は通常喜ばれる言葉。だが、こういうタイミングで使われるとなんとも不快というか、苛立に変わることがある。

皆さんも経験があるだろう。それは電話によるセールスである。セールス内容は光通信によるブロードバンド回線の売り込み。「こちらNTTの代理店で、、、、」とか、「こちらauの代理店で、、、、」と名乗るまではいいのだが、問題はその後。

「インターネットや電話をお使いでしょうか?」と聞かれ、返事は当然「ハイ」。すると、すかさず「ありがとうございます」が返ってくる。その後も全て同様に、どんな内容にも「ありがとうございます」が返ってくるのだ。

「光ファイバーはお使いですか?」「ハイ」「ありがとうございます」。
「IP電話はご存じですか」「ハイ」「ありがとうございます」。
「・・・・でもっと安くなるのはいかがですか」「そりゃあいいですよね」「ありがとうございます」。
「今なら・・・・のサービスになるのですが」「はぁ」「ありがとうございます」。

「大手電話会社の代理店」と「ありがとうございます」の組み合わせが生む効果は、人によっては絶大だ。

まず、「大手電話会社の代理店」:
あたかも「地元のNTTやauの支局」からかかってきたかのように思える。小自治体など地方に住んでいる人の場合、NTTの、と言われた途端、たとえば「斉藤さん家の次男が就職したところだ」というぐらいに身近である。警戒心が取り払われ、一気に安心感を与える効果がある。

次に、「ありがとうございます」:
ありがとうございます、は、明らかに「両者に契約のつながりがある言葉」だ。いつも家に来る電力会社の検針員であったり、プロパンガス屋だったり、宅配便業者であったりと。ありがとうの連呼は、このように常連のご用聞きであるかのような錯覚に陥らせる。初めてかけてきたセールスだという雰囲気は与えない。これが狙いなのだ。

そして両者の相乗効果:
地元のNTTやauからの電話だと錯覚し、その上で、「お安くなります」と言われると、「じゃあお願いします」と言ってしまう人も少なからずいるだろう。「斉藤さん家の次男の会社の関係のどこかから電話があって、電話代が安くなるとか言ってたから。書類も送ってくるし、ハンコを押すだけでいいし、工事はあの次男の会社のところでやってくれるから楽だし」といった具合だ。「今も契約しているところ」からのお得で耳寄りな情報なのだし、やらない手はない、というような。”代理店”はどこにあっても構わない。北海道の会社が沖縄の個人宅にセールスするのもありだ。「斉藤さん家の」と思っていた人は、まさかそんな遠いところからかけてきているとは夢想だにしないだろう。

顔の見えない電話での売り込みの場合、相手から警戒心を取り去る必要がある。それと同時に、いやそれよりも重要なのは「セールス」だと思わせないまま会話を続けた方が成功率が高い。ひとたびセールスだとわかると、結構です、で電話は切られてしまう怖れがある。そこで、上述のダブル戦略の登場とあいなる。

社会心理学の説得方略 (persuasion strategy) に、「真実を告げることから生じるネガティブな結果を回避するための嘘である欺瞞方略 (deception strategy)」という方法がある。セールスする側のセリフにウソはないにしても、明らかに惑わし、ごまかし、欺きの策略であると言わざるを得ない。

「電話ビジネス」が複雑多岐に渡ってきている今日だが、NTTやau以外の名前がわからないという人はたくさんいる。ブロードバンドやADSLと言われてもなんのことかわからないという人もいる。「ありがとうございます」の連呼が、そういう人たちだけの狙い撃ちとは限らないだろう。だが、かなり効果覿面なのだろう。どの”代理店”であっても、皆一様に上述した通りの言い回しを行うのだから。

しかし、セールストークを長引かせるやり口として考えても少々お粗末だと言わざるを得ない。漏れなく付いてくる「ありがとうございます」には、さすがに食傷気味である。私のような意見も増えてきているのではないだろうか。そうしたセールスの電話に対し、「あのぅ、ここでありがとうございますと言われても、まだ何かお願いしたわけじゃあないし、電話回線を持っていることにありがとうございますと言われても、そうじゃあないとあなたからの電話だって受けられないのだし、変な感じがしますよ」と、やんわり言った所、「はぁ」と言ったままかなり長く沈黙が続いた(笑)。

「国民生活センター」あたりにこうした苦情は殺到しても良さそうな気がするがどうだろうか。

ふぉと逍遥スライドショーLaughLaughHappy

「ふぉと逍遥」スライドショーを更新しました。


今回もフランスからの写真便りをたくさんアップしています。上記の写真は言わずと知れた「モン・サン=ミシェル (Mont Saint-Michel)」。サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院です。「ふぉと逍遥」は前半がフランス、後半がこちら日本。後半への切り替わりは「長屋門」から。

ちなみに長屋門は、吹きガラスの師匠の家です(^^).。

師匠と奥様、お子さんが2人、それに師匠のご両親という家族構成。すくすくと育つ子供たち。毎回伺うたびに孫と遊ぶ師匠のお母様の姿を見かけます。先日見かけた風景は当分忘れられないものになりました。それは、孫2人を農業資材運搬用の一輪車に乗せて”運ぶ”師匠のお母様の姿でした。朝のご挨拶を申し上げたところ、「もう大変です」という珍答が(笑)。きょとんとした目で私を見ながら一輪車に仲良く鎮座する幼い兄妹。祖母に甘えての「一輪車ごっこ」。日に日にやんちゃになり、体重も増えてきている孫2人を、同時に相手にするのは、まだお若いとはいえ体力が要るというもの。こういうタイミングに限って何故かカメラが無い。取り損ねた後悔心を癒すべく、脳裏に焼き付いたあの暖かい光景を時折思い出している私です(汗)。

師匠の家の風景は、昔ながらの田舎、昔ながらの農村漁村部の暮らしを感じさせます。走って転び、擦り傷を作る、泥遊びをして親に怒られ、草や木に触れ、昆虫やヘビ、カエルとの共生を当たり前のこととして暮らし、時には蜂に刺されることもありです。子供として「通るべき」の生活がここには間違いなく存在すると思いました。大学進学や就職等で都会行きとなる確率は高いでしょう。でも、その手前で子供にとって大切な「情操教育」。これは、都会よりも田舎の方に軍配が上がるのではないでしょうか。「奥深い豊かさ」は、「合理性の都会」では少々難しい感があります。

お湿りが不足かSadEmbarrassedHappy

今年の夏は猛暑を超えて酷暑という表現も目立った。酷暑は全国的としても、関東地方はそれに加え、雨の日が少なかった。ジリジリと照りつける夏の太陽は地面をパサパサ、カサカサに乾燥させた。畑の作物にも影響が出た。


秋になってもその影響は続いた。咲くべき時に咲かなかった彼岸花のニュースを見た。開花がずれた様子だ。だが咲いてくれたのなら羨ましい話だ。我が家の白い彼岸花は咲かないままに終わった。彼岸花は花が散った後に緑の葉を出す。今年はあの美しい白い花を見る事がないまま、今はこの葉を愛でている。


どんぐりにも影響が出た。クマが山から里に下りてきて、人間が右往左往し、地元の猟銃会によって射殺されたという痛ましいニュースも報道されている。この夏の酷暑や雨量不足で森のドングリがあまり実らなかったということだ。本当は、日本の森林管理の問題とクマの問題という重大な側面があるのだが、ここでは省略させてもらう。

我が家の敷地内のドングリにもその傾向が見られた。敷地内には2種類のドングリがある。右側の大きなサイズと左の小さいサイズ。大きい方にはあまり変化は見られない気がするが、小さい方は色づかないままに落ちてきたり、あるいは、外側の皮?で覆われたままで落ちているものもある。未熟なままで落ちたドングリの話はニュースでも報道されていたので、なんだかとても身近な問題として感じた。

夫と私が越してくる何十年、あるいは何百年?も前から存在していた森の木々。ドングリの木ももちろん我々の大先輩。越してから植えた新参者の植物とは違い、地下深くに根を張った太い幹のドングリの木が暑さと水不足に悲鳴を上げたということに驚いた。だが、未熟なまま落下した実を見るにつけ、その悲鳴が聞こえるようで、なんだかこちらまで辛くなる。あの大木にハグをしても解決するわけではないが、「今年は大変だったね。本当にお疲れさま」と言って慰めたいと真剣に思った。来年は森に必要なお湿りがありますように、と祈る気持ちになる。



秋も深まってきた今、雑木林が色づき始めた。正面の赤っぽい色は山桜。桜の葉の紅葉は美しい。春のお花見後はあまり話題にされない桜、というのが一般的な気がする。だが、春の開花と同様に、桜の紅葉もワクワクタイムとなる我が家である(^^).。

きちんと眼を見てくれる人にWinkingLaughHappy


眼鏡歴ももう10年ぐらいになる。そして最近、またまた眼鏡の具合がいまいちとなりつつある。老化が進んだ眼のためにまた眼鏡の処方が必要となった。まずは眼に異常がないかを眼科でチェックしておこうと考え、近隣の眼科医をネットで調べる。ひとつの眼科医に行き着く。サイトにはおや?と思う事が書いてある。「眼鏡の処方は医師のみに許された医療行為です。処方は眼科医で行いましょう。眼科検査なしで眼鏡を処方する事はとても危険な行為です」とある。

これまで眼科と眼鏡店、両方で処方してもらった経験がある。眼鏡歴は浅い私だが、何かキナ臭い感じがした。ネット検索すると、色々な問題点があるようだ。全容を把握するには時間がかかるしそこまでしたいとは思わない。ここでは私が感じたことだけを述べる。

まず、「処方」が医療行為であることは間違いはないが、言葉に惑わされてはいけない。正式名称はさておき、眼鏡店で行う、「視力チェック」、それに合わせた眼鏡づくりは違法ではない。眼科医でのチェックは眼科医が行うのではなく「認定眼鏡士」という資格保持者が行う。認定眼鏡士から上がった「書類」にオーケーサインを出すのが医師であり、そこで初めてその書類は「処方」となる。眼科内の認定眼鏡士チェックのみで処方はもらえず、必ず医師の診療とセットだということだ。

自分自身の経験を通じ、実はここに違和感を感じた。医師の診察で眼に問題がなく単に眼鏡処方を変えるだけといった場合、眼鏡の具体的な相談は認定眼鏡士に尋ねて欲しい、といった様子があからさまだ。一方の認定眼鏡士。彼らはかなりの専門性をもってその任務に就いている。処方に関しては医師よりもよっぽど「センセイ」と呼びたくなるぐらいだ。処方のために押すハンコ以外、医師が「処方を作成している」とは全く言えない。眼鏡士に全てをゆだねる医師。これが眼科医での処方の現状だ。

そして、眼鏡店。こちらには必ずしも認定眼鏡士が常駐するとは限らないようだ。だが、その肩書きが有る無しにかかわらず、私がレギュラリーに出向く眼鏡店のスタッフは信頼に値すると思っている。眼科医の認定眼鏡士と眼鏡店のスタッフは、どちらも専門性が高いと感じた。

両者が同じようにレベルが高いのであれば、私は眼鏡店の方が良いと思う。何故なら、眼科医ではイモでも洗うかのように患者が列をなして並んでいる。認定眼鏡士の役割は、とにかく早く患者を「さばく」ことだろう。しかしこちらにしてみれば、命綱とも言える大切な眼である。がっぷり四つに組んで取り組みたいし、眼鏡士にもそうあって欲しいと思うものである。眼鏡士がレンズを入れ替えて善し悪しを尋ねる時も、時にはレンズの入れ替えを何度も繰り返さないと不確かで答えられない場合もある。また、善し悪しの回答を示してはみたが何か不確かさが残る場合もある。だが、ベルトコンベア式に済ませたい眼鏡士から滲み出る繁忙の雰囲気メラメラの空気に煽られ、不確かなままで次に進んでしまうことが多い。まっいいか、では本当は済まされないのが眼の処方だと思いながらも、現実の気忙しい雰囲気にはなかなか太刀打ちできない。そして時間の問題。順番が来るまで待たされる時間は長く、自分の順番がくればベルトコンベア式に急がされ、しかもそれで終わりにはならず、またまた待合室で長い間待たされ、ようやく医師に会い、処方以外の診察をされた上で処方をもらう、という段取りだ。混み具合によっては半日がおじゃん(古い?)である。

そんな眼科に行くよりも、平日の空いた時間の眼鏡店。これが私の選択だ。もちろんきちんとした専門性のあるスタッフを見つけることが必要だが、ひとたび見つけたならば、そこをレギュラー眼鏡店と考えればよい。何代も切り替えた眼鏡歴がカルテのようにそこに保管されている。かかりつけ医ならぬ、かかりつけ眼鏡店。私のかかりつけ眼鏡店は、保証期間はもちろんのこと、毎年誕生日近くになると数千円分の割引クーポンが送られてくる。定期的な眼鏡チェック案内もある。眼鏡のネジの緩み、鼻や耳への収まり方調整や不具合の直しなどはいつも無料でやってくれる。期限が切れたクーポンを恐る恐る出してみた所、笑顔で割引いてくれた。

眼鏡処方の前に眼科医に診てもらうことは大切なことだと思う。加齢とともに起こる白内障や緑内障、他の疾患があるかもしれない。だが、ひとたび問題なしのお墨付きをもらったならば、眼科医内の認定眼鏡士を選ぶもあり、眼鏡店のスタッフを選ぶもありだと思う。技術的、専門的にはどちらでも構わないはずだ。

眼鏡の処方は医師ではなく、もう眼鏡店に全てを任せた方がいいのではないかという事を問題提起している人たちがいる様子だ。先のキナ臭さはここにあった。書類に押捺するだけの眼科医という処方の事実。それでも医療行為の中に眼鏡処方を置いておく理由があるのだろう。しかし、眼鏡店での「処方的行為」により眼鏡を作ることが違法でないのなら、それほど頓着する必要も今のところは無い。キナ臭さはもっともっと奥深いのかもしれないが、今はあまりジャーナリスティックな考察に持って行きたくはない。気にせずにおこうと思う。何よりも大切なのは、自分自身も眼をしっかりと見開くことであり、自分の眼をしっかりと見てくれる人を確保し維持することだ。

Man's best friendWinkingLaughHappy

数年前、”斬新なセンス”で踊り歌う「OK Go」が注目を集めた。

無名返上。一躍有名になった彼ら。”洗練された笑えるダンス”がウケただけではなく、曲や歌も評価されている。そのシンガーとしての実力とダンススキルのギャップ。それを世に知らしめた火付け役はYouTube。

下積み後、富と名声を得て有名になった人間は2種類に分かれる。その2種を「高慢」と「善良」と考えるならば、彼らは後者。かなり主観も入れたその理由は、彼らがASPCAに協力する活動を行っているからだ。

ASPCA は、The American Society for the Prevention of Cruelty to Animals の頭文字。日本語では「アメリカ動物虐待防止協会」。協会によって保護された犬たちがPVに登場する。その犬たちは運良く里親が見つかっている。だが、まだまだ多くの犬たちは里親との出会いを待っている状況であり、ASPCAの活動をサポートして欲しいと、PVの終わりにOK Go からのメッセージが出る。


彼らのマジメな取り組みはともかく、やはりまた楽しいPVにしてくれたOK Go のセンスを見ていただきたい。犬たちはもちろん、トレーナーによって訓練されたのだが、とにかく可愛い。裏情報によると、142回撮り、採用されたのは72回目のテイクだったらしい。人間たちも犬たちも、そして何故か一匹登場するヤギさんもお疲れさまでした!
OK Go - White Knuckles - Official Video

犬は人間の最良の友、という名言は確かアメリカだったように記憶している。誠にその通り。ペット飼いのモラル後進国日本。それでも少しずつ改善されてきているのだと信じよう。