台風の爪痕?WinkingLaughHappy

台風の中心からは多少離れていたことにより、比較的難を逃れた感のある房総半島。しかし、倒れて折れ曲がった看板などは町で見かけた。我が家はいつものように杉の枝が散乱。レーキングで枝集めをしなくてはいけないが、いい運動にもなるかな、なんて。

そして台風の爪痕はこんなところにも。実が熟して茶色くなっていくはずのドングリが、緑色のままでデッキに落ちていた。ドングリにとっては大災難だったとは思うが、緑の胴体はなんとも言えず美しい。奇麗。

台風後の朝食時。極小サイズが欲しくて購入したアカシア材のまな板。プチナイフと比較してもその小ささは際立つ。サイズ比較の証には全くならないけれど、ドングリ君をその上に乗っけて撮影してみた。パチリ。

スライドショー更新WinkingHappyLaugh

スライドショーを更新しました。

残暑厳しい9月。「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うけれど、本当かしらと疑いたくなるぐらいですね。

でも、残暑はこういう楽しみが引き続き享受できるメリットも。ランチ後のハンモックタイム。ゆらゆらは、そのうちうとうと、に。


稲刈りも終わり、新米が美味しい季節。米びつに残る”旧米”が終わったら、産地直売に出かけるつもりです!ワクワク。


先日購入したグレーター。レモンの皮が飛び散らず、グレーターの上にたまっていくタイプ。こんなのがあったんだ、と驚き、もっと早く教えてよー、とも思ったのだけれど、「当然知ってると思った」という、ちまたでは当たり前のものだったみたいです。飛び散りの後始末が面倒くさかったあの過去の日々はなんだったのでしょう(汗)。

こんな本当に些細なことから思うのは、人って案外知らないことがたくさんあるんだろうなぁ、ということ。一人一人の知識はリミットありで、でもそれらを共有し合うと、「えーっ、何それ」みたいな驚きと嬉しい出会いになるのだと。誰しも、「知ってると思ったから言わなかった」ということが案外ありますよね。私自身もこれからは「知ってるかもしれないけど、これ」みたいに、伝えることを心がけようと思います。

前首相、お疲れ様HappyWinkingLaugh

お坊ちゃま首相からバトンタッチするも、津波、福島原発のダブルパンチ。正直言って貧乏くじだった菅直人前首相。在任中の風当たりのスゴさったら、まぁそりゃあすごいもの。議員だけでなく、市民の側からまでも、居座るな、早く辞任を、など、言いたい放題の世論。

そんな菅直人氏を応援していた私はかなり少数派かと思っていたら、作家の池澤夏樹氏が新聞紙上でエール。「ぎりぎりまで居座ればいい」という大きな見出し付き。ほぅ、同じような思いの人はいるにはいるのだと感じ入る。1978年に既に福島原発廃止を唱えていたという管氏。その主張は終始一貫して変わらなかった。脱原発の人、市民運動上がりの人。そんな人物が国会のトップに立つのはそもそも無理があったのかもしれない。東電マネー、原発マネーにどっぷりという魑魅魍魎の面々ばかりの国会。多勢に無勢を通り越し、孤軍奮闘で臨んだ首相の仕事。数の論理が優先される中、妥協に次ぐ妥協を強いられていただろうと思う。

とにかくお疲れさま、と言って差し上げたい。でも、今後も脇から背後から、市民運動の人らしく、初心を貫いて欲しいと願う。しばらくはバケーションでも楽しんだらどうですか。You deserve it!

ご不浄とお教室HappyLaughSad

敬語の乱れ、日本語の乱れが指摘されて久しいが、乱れたままで定着してしまうと、そのまま新敬語の”国語”として市民権を得てしまうのか。特に過剰な敬語、二重敬語。買い物時の店員さんとのやり取りで、ビジネスや公的機関など社会生活の中で、まぁ多いのなんのって。枚挙にいとまが無いので例は割愛。

また、”誰”が”いつ”から”始めた”のかはわからないが、個人的には違和感を感じ、誤りではと思われることが完全に”国語化”しているものもある。それは「お教室」。料理教室、裁縫教室など、これまでは「お」は無しだったが、今は全てに付くのが常識と化している。セーフラインに入るのは「お取り寄せ」かな。「お取り寄せ品」だとヘン。そういえば、買い物をすると「お品物になります」、と手渡される。違和感〜。

言語の先生ではない私。当然私にも間違った使い方はあると思う。でもやはり周囲のそれらに苛つく。友人曰く、「わかるけど、あなたもトシなのよ、歳とともに頑固になっているのよ」、と。その通り。

私の力でどうにもならないことに怒ってエネルギーを使うより、こう言う時は美しい日本語に触れることにする。向田邦子でも読もう。1981年8月に飛行機事故で帰らぬ人となった彼女。今年は没後30年。琴線というか、人情の機微に触れる言葉を書かせたら天下一品。ヒトが発する言い回しを読み、ドンぴしゃりの表現に胸が熱くなり、「そうそう、そうよ、全くもってそうよねぇ」と、思わず膝を叩いてしまったものだ。

書棚から『父の詫び状』を取り出す。さっそく「ご不浄」が登場。こちらは”正式”に「ご」付きが認められた言葉。昭和の世界が広がる素晴らしいエッセイ。こうした書を読む習慣があれば、摩訶不思議な「新敬語」などは生まれることはないだろうに。おっと、いけないいけない、また頑固さが(笑)。

でも、こうやって譲れないものは譲れないのだと、いっぱしに頑固になって、頭から湯気を出して鼻をフガフガさせながら、年老いていくのだろうなぁ。