逝ってしまった”リンゴ”たちSadEmbarrassedFoot in Mouth

出会ってみたかった歴史上の人物はたくさんいる。ソクラテスやルソー、スピノザ、カントなど、などなど。

同時代を生きた人物では、スティーブ・ジョブズとジョン・レノンが浮かぶ。


永遠に錆びることのない歌を世に生み出してくれたジョン・レノン。それほどビートルズファンという私ではなかった。でも、心打たれる彼の曲はいくつもある。彼のサウンドは心を溶かし、涙腺をも緩くする。


Macintoshコンピュータに出会わせてくれたスティーブ・ジョブズ。会社員時代が長かった私。オフィスコンピューターことオフコンを経験した。当時、会社には「電子計算部」なる部署が。バカでかいコンピューターが宿る電算室があった。高温多湿とホコリを嫌うセンシティブなマシーンのため、電算室は空調を万全にし、入り口のドアも他とは異なった。プログラマーと呼ばれる専門技師たちが電算室に入るのを見て、特別な空間を感じたものだ。今から考えると、今日的にはかなりプリミティブなプログラムだったのに。

その後、巨大なコンピューターは多少小さくなり、私はIBM時代も経験した。いわゆるMS-DOS方式。オフコンから考えるともっとパーソナルな感じがあり、コンピューター技術の進歩に脱帽し、小型化に満足している自分がいた。今から考えると”この程度”のことだったのに。

そして、アップル社のマック。これに出会ってからはずっとマック一筋だ。ジョブズ氏がいなかったら私はこの快適なパソコンの利益を享受できなかったわけで、彼には感謝以外の言葉が無い。会ったことも無い人なのに、マックというパソコンを通じて、まるで親戚か友達かのようにずっとつながってきていたような、そんな錯覚にさえ陥る。だから、彼の訃報を耳にした時、悲しくて涙が出た。そして今も、もうジョブズ氏がいないのだと思うと、なんだかセンチメンタルになる自分がいる。でもこれからもマックを使い続けることに変わりはない。スティーブ、ありがとう!!

ジョブズ氏の有名な言葉Stay hungry, Stay foolishは、『ハングリーであれ、愚かであれ』、『貪欲であれ、愚直であれ』などと訳されている。字余りながら私の意訳は、『野心を持ち、やんちゃで行こう』。


二人とも、そういえばアップルの会社という共通点。

半年の愛に感謝EmbarrassedHappy

2007年4月初旬、人間(元飼い主)に捨てられ、うちの森に迷い込み、その後我が家で過ごす事になるも、半年でこの世を去ったコゴミ。2007年10月13日午前9時頃、コゴミは永遠の眠りにつく。

捨てられた犬によくあるフィラリア症はコゴミも同様。治療を進め、その状況を見ながら里親探しに取りかかる方針決定。毛はボロボロ落ち、あばら骨が痛々しいぐらいぐらいだったが、少しずつ回復基調に。しかし、フィラリア症による腹水が溜まりお腹がパンパンに膨れ上がる。腹水抜き推奨、栄養でもある腹水保存推奨、獣医の意見も2つに分かれる。1度は前者を、その後は後者をとる。

経過を見るにつれ、この子は里親探しなど到底できない犬であるという、火を見るよりも明らかな結論に至る。体力がなく、うちの犬たちと一緒にフルコースの散歩などはもってのほか。こういう状況の犬を引き受けてくれる里親など雲を掴むような話だ。そしてコゴミはうちの家族の仲間入り。

以下の写真は友達に送ったもの。まだ「里親探しを予定」している頃で、敷地内にはいるものの、なかなか確保に至らず、そのすったもんだを経て確保するまでの状況。どんな犬なのか知りたがる友達にそれを説明しようと作成。


コゴミはとても個性のある可愛い子でした。食事の際の絞り出すようなハスキーボイスはかなり奇怪な声でしたが、夫も私もそれを聞くのが楽しみに。近寄ると糸のように目を細め、笑う犬になるコゴミも愛おしい。家の中で過ごす訓練の初夜、通路にウンチ。その想像を絶する凄い臭いが身体に付いているような錯覚に陥り、驚いて飛び起きた深夜。どれも本当に楽しい思い出です。

下の写真は、うちの3匹とも少しずつ仲良くなり、デッキや家の中でも過ごせるようになり始めた頃のもの。
コゴミ、半年間、たくさんたくさん愛をもらったわよ、ありがとう。いつまでも決してあなたのことを忘れないからね。
コゴミの墓には、名の由来となった山菜のコゴミを植えました。

動物嫌いSadSadSad


パソコンが苦手な母親。写真を抜粋しプリント。アルバムにして郵送。写真のヘビ「ヒバカリ」もその一枚。地元の人は「土もぐり」と。ところが母の反応は、「気持ち悪いんだけど」。受話器を持ったまま唖然とした私。この小さな可愛いヘビに感動してくれるだろうという推測と期待は粉々に。

家の周囲にいたヘビを気味悪そうに見ていた小学校低学年の私に母は、「ヘビは家を守ってくれるもの。気持ち悪がってはいけません」と説教。実はそれ以来、私はヘビを好きに。幼い頃のその鮮明に記憶しているストーリーを、嫌悪感を示す母に伝え損ねてしまった。「お母さん、覚えてる。昔ね、、、、」と言えばよかったのだけど、タイミングを逸してしまった。「物事」や「動物」に対し、人の「好き嫌い」は変わる。何故か変わる。母も変わったのかもしれない。幼少期のそのストーリーは、子供への教育の一環として、動物を毛嫌いしない子に育てようという親心であり、母は当時からヘビが嫌いだったのかもしれない。

言えなかった理由は他にもある。年齢とともに起こる物忘れ。母も同様。「忘れたの?」は、今の母には「また忘れたの?」になる気がする。本人も自覚する健忘。年齢を経ることの道連れみたいなもの。誰にでも起きること。でも、言われた本人は忘れてしまったことに対する申し訳なさで消え入りそうに小さくなる。耳も少し遠くなっているようにも感じる。電話だときちんと真意が伝わらない気がして、いろんな意味で電話では、と、あれこれ思っているうちにタイミングを逸したとも。面と向かっていたら、「お母さん、覚えてる?」も上手く伝わったかな。

ヘビには神々しさ、威厳がある。今もヘビを見ると、家を守ってくれているのだという思いが先に立ち、感謝の気持ちがわいてくる。


先の、「好き嫌いは何故か変わる」で思い出す私のケース。それはカエル。実はカエル嫌いも幼少期のイヤな経験が原因。それを引きずったままこの町へ。引っ越してきた頃はギャーギャー叫んだことがある。今思うと恥ずかしい。今では写真のようなツチガエルにも平気で近寄れるようになった。愛嬌のある顔をしている。さすがにヘビやカエルに頬ずりしたいとは思わないけれど(笑)。


動物の好き嫌いは人それぞれ。中には犬猫嫌いの人も。犬に追いかけられた幼少期の恐怖の思い出、犬に噛まれた昔の記憶、猫に引っ掻かれた記憶、猫のあの目が嫌い、などなどなど。

我が家では無駄吠えは叱るけど、最初の吠えはオーケーに。本能でもあるし、また吠えて来客を知らせてくれることはありがたい。我が家の来客の反応も様々。吠えながら玄関で出迎えるウメ。その声に驚き畏縮したり、後ずさりしたり、という人。初対面にもかかわらず、吠えなどものともせず「おー、元気な犬ねぇ」と満面笑顔でウメに近寄る人。我が家の犬に触れたことがきっかけで、犬を好きになり始めた人も。

動物愛護の観点から言えば、理想はどんな生き物も好きでいること、でしょう。でも、せめて、せめて、人類と共生・共存してきた歴史の長い犬猫を嫌うのはやめにしていただきたいものです。毛のアレルギーなど身体的な理由は別として。

昔、とても仲良くしていた友達がいて、犬猫がいる限り来ない、来られない、と。もう連絡も途絶え、たぶん訪ねてくることは一生涯ない、か。すごく残念な気持ちながら、私ももう「いいわ」と決別しつつ。最近ようやくこんなふうに割り切れるように。17年かかりました(笑)。犬猫嫌いな友人知人は、東京に出かけた時に会うことにします。

持論。よっぽどのこと(それもいまいち想像はつきませんが)でもない限り、犬猫嫌いは克服できるはず。幼少期の恐怖の思い出は、多くはきちんと躾をしなかった飼い主の責任。もちろん時にはアクシデントもあるでしょう。でもそれがずっと一生涯犬猫を嫌う「正当な理由」になり続けるのって、ヘンではないでしょうか? しっくりきません。

犬猫嫌いな方へ。写真の我が家の犬と猫。親バカであるということを超えて、けなげで清く澄んだ目をしていると思いませんか。どの犬猫たちも皆同じ。純粋で澄んだ目をしているはずですよ。犬猫を家族の一員として育てている友人知人はいませんか? もし心当たりがあるなら、是非、そこから「克服」を始めてみてください。

We miss you.....Sad


8月26日の昨日はチビの命日。チビが天国に行ってからもう2年の歳月が流れました。享年13歳と3ヶ月。昨今の猫の平均寿命を考えると少々早死にとも。糖尿病を患い、インシュリン注射もしていましたが、残念なことに。

夫の靴の中に産み落とされたその日から、チビは我が家の猫に。
お茶目さは天下一品。キャンバスバッグに入ってみたり、ちょこっと顔を出したり。寝る時も「川の字」の真ん中。

そしてグルメ。写真にあるようにチーズには目がないのです。しかも単価の高いゴルゴンゾーラを選んで盗み食い。

私にとってチビはとても特別な「子」でした。

日も短くなりつつ、秋の気配がGasp


デッキでのディナーを時々楽しんでます。日が長い時期はキャンドルも不要。デッキにいても7時のニュースをチェック。テーブルからテレビが見える位置へ移動。ワイングラスを持ったままで、時には片手にパン、もう片手にワイングラス、口の中ももぐもぐ。

まだ残暑が続いているけれど、確実に日は短くなってます。暦を見ればもう夏至はとうの昔に過ぎ、立秋も過ぎました。野良仕事をしていると日没が少しずつ早くなっていると感じます。早朝も少しずつ暗く。。。。

デッキディナーもあとどのぐらいできるかな。もちろんやろうと思えば365日。でも寒くなってくるとやはり億劫。暖かい室内で食べたいですね。やはりこの時期のイベントか。でも、初秋は問題なし。キャンドルの灯りは必要になるでしょうけど。