テレビ無しの生活推奨WinkingHappyLaugh



地上波放送が明後日から完全にデジタル化される。アナログ放送の終わり。デジタル対応のテレビ受像機やチューナーが無ければ、どのチャンネルも写真のようになる。

人々は地デジ難民になるまいと焦り、せかせかと電気店に出かけてテレビを買う。政府広報、電気店での広報活動の効果は絶大だ。

しかし、民放局が見られなくなることはそんなに大変なことなのか。アナログからデジタルに切り替わった瞬間、テレビが映らなかったら何か大惨事でも起きるというのだろうか。

約8年、我が家は「民放無し」の生活をおくっている。民放を視聴するためには山のてっぺんにアンテナが必要な場所に家がある。そこまでして民放を視聴したいとは思わなかったので、屋根の上に付ける衛星放送のアンテナだけにした。主に映画のために衛星の契約をしているが、面白い映画がなければ、テレビは24時間見ないことになる。

テレビが無い生活は静かだ。また、否応無しに入ってくる情報に翻弄されることもなくなる。テレビがスタートした58年前は、森羅万象の良き情報が目に耳に入ってきたと推測する。だが、今日のテレビはどうだろう。

どこかで久しぶりに民放を見たことがあった。何かの悩み相談室のような番組。タレントと称される人物が数人パネラーとして悩み相談に聞き入っている。タレントの一人は占い師のような人物。真剣に見ていなかったため、悩みの内容も忘れてしまったが、占い師の言葉だけは覚えている。占い師は、故人に手を合わせる時、願い事をしてはいけないと言う。生前、一生懸命に生きてきた人なのだから、亡くなった後はゆっくり休んでもらうべきであり、願い事をするなどもってのほか、筋違いだというのだ。

は?あまりにも馬鹿馬鹿しくて開いた口が塞がらなかった。墓前で、或いは家の仏壇に向かって手を合わせる時、人は「ふと」何かを「願う」もの。まして何かに悩んでいる人であればあるほど、先祖に向かって、或いは亡き家族の遺影に向かって、「どうか助けて」「お願いします」と叫び、祈るものである。それが「人」というもの。これは受け容れるべき人の弱さ。ふだんから人の悩み相談に応じているだろう占い師こそ、寛容の精神を持つべきではないだろうか。このような人間のベーシックな欲求にまでルールをつける占い師を番組に登場させる放送局の愚鈍さ。うんうんと頷く他のパネラーたちの無神経さ。公共の電波を通じて何千万という視聴者に向けて「ご意見」が発せられ、あの番組以来、墓前で「願い事」をしなくなった人たちもいるだろう。なんと気の毒なことか。

一事が万事。大半の番組も上述のものと比べ五十歩百歩、といったところではないだろうか。

アナログのテレビを持ち、これからテレビを買い替える予定の方々に是非試して欲しいのは、テレビの無い生活。できれば半年位試してみてほしい。せめて3ヶ月。1ヶ月でもいい。民放を完全否定するつもりはない。でも、せっかくの機会である。無いことの良さ、これは経験する価値有り、である。テレビはいつでも買えるのだ。